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サッカーワールドカップで東西ドイツが唯一の対戦 51年前に現地観戦の記者の回想 (3ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【当時世界最強の西ドイツに東ドイツが勝利】

 西ドイツは当時の世界最強国のひとつで、1972年の欧州選手権(ユーロ)優勝チームだ。

 実は、東ドイツのサッカーファンも強い西ドイツ代表を秘かに応援しており、西ドイツがチェコスロバキア(当時)やハンガリーに遠征すると、西側には出られない東ドイツのファンが観戦のためにスタジアムに詰めかけたと言われている。

 そんな東ドイツのファンも含めて、誰もが西ドイツの勝利を信じていた。

 西ドイツ代表ではリベロとしてチームを統率するフランツ・ベッケンバウアー(バイエルン)は絶対の存在だった。しかし、中盤での司令塔を巡っては論争があった。ヘルムート・シェーン監督はW杯では短いパスを出し入れすることによってゲームを組み立てるヴォルフガング・オヴェラート(ケルン)を起用していたが、サポーターの間では2年前の欧州選手権でロングパスを駆使したすばらしいゲームメークを見せたギュンター・ネッツァー(ボルシアMG)を支持する声も高かった。

 さて、ハンブルクでの対戦で西ドイツはボールを支配してはいたが、東ドイツの守備を攻めあぐね、スコアレスのまま後半に入ると、スタンドから「ネッツァー、ネッツァー」という声が地響きのように湧き上がってきた。シェーン監督は、これに応えるようについに69分にネッツァーをピッチに送り出したのだが、その8分後にロングパスを追った東ドイツのユルゲン・シュパールヴァッサー(マクデブルク)が決勝ゴールを決めて、東ドイツが勝利を収めたのだ。

1974年W杯で東西のドイツが対戦。両チームのキャプテン、ベルント・ブランシュ(左)とフランツ・ベッケンバウアー(右) photo by Getty Images1974年W杯で東西のドイツが対戦。両チームのキャプテン、ベルント・ブランシュ(左)とフランツ・ベッケンバウアー(右) photo by Getty Imagesこの記事に関連する写真を見る 国際Aマッチで東西ドイツが顔を合わせたのは、この時だけだった。1990年に東ドイツは西に吸収される形で消滅したので「東ドイツの1勝」という記録が残った(ちなみに、決勝ゴールを決めたシュパールヴァッサーは後に西ドイツに亡命した)。

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