検索

初瀬亮の海外挑戦で心の支えになったもの「兄貴には公立高校に行ってもらったし、家族にはいろんな我慢をしてもらった」 (2ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa

 練習参加から3日目の時点では、シェフィールド・ウェンズデイのクラブGMとダニー・レール監督には高評価を得て「獲得したい」と伝えられたものの、前編にも記したとおり、他国の選手獲得にも同時に動いていたことも影響してか、予定していた練習参加期間を過ぎてもなかなか契約書は提示されなかった。

「1月31日に移籍ウインドウが閉まっても、僕は無所属の選手なので『移籍はできる』というのもあったし、最後の最後まで『自分はこの契約を勝ち取れる』と信じていたので、不安はなかったです。大好きなサッカーで、人生をかけたギャンブルをしているような感覚もあって、『生きてるなー!』ってヒリヒリ感もありました。もし話がなくなっても『胸を張って帰国すればいいだけや』とも思っていましたしね。実際、ヴィッセルのチームメイトが心配して連絡をくれるたびに、そう伝えていました」

 そうしたなかで一気に話が動いたのは、2月に入ってからだ。あまりにも話が長引いている状況もあって、いったんは日本に帰国することも考え始めた矢先の、ヨーロッパの移籍ウインドウが閉まる当日の2月3日に、ウェンズデイから正式なオファーが届く。

「絶対に、この契約を勝ち取ってやるという覚悟で乗り込んだので、日本を発つ時もスパイクひとつとかではなく、私服とか、生活に必要な身の回りのものは全部、こっちに持ってきていたんです。だから、すぐにここでの生活を始められます(笑)」

 最後まで心の支えになったのは、家族だったと明かした。

「小さい頃から、僕は家族にいろんな我慢をしてもらってサッカーをしてきました。兄貴には行きたい私立の高校があったのに、僕のサッカーにお金がかかるからと公立高校に行ってもらったし、高校3年の時にも親父には『プロになれなかったら、大学に行かせる金はもうないぞ』とはっきり言われていました。

 つまり、本当に家族が少しずついろんなことを犠牲にして僕のサッカーを支えてくれたおかげで今の自分があるからこそ、プロになってからはずっとお金にもハングリーでした。いつも『お金を稼いで、家族を幸せにしたい』ってことが自分の活力になっていたし、それは今回も同じでした。

 しかも、今回はプラス、自分の夢を叶えることも目指していたので。家族のため、自分の夢のためにチャレンジできるなんて、こんな幸せなことはないって思えていたことも、自分を信じて頑張れた理由だと思います。あと、マネジメント事務所の田崎(洋平)さん。この1カ月近くずっとそばでサポートしてもらって、ほんまに心強かった」

2 / 4

キーワード

このページのトップに戻る