プレミアリーグの図抜けたMFウーデゴール 消えた天才少年はなぜ表舞台に帰ってこられたのか (3ページ目)
【冷静さ、辛抱強さこそ才能】
旧ユーゴスラビアの名将ミリヤン・ミリヤニッチは、かつてこう言っていた。
「コーチは10年先を見なければならない。10年後のサッカーには何が要求されるのか。それを見越して子どもたちを指導しなければならない」
10年先を予見するのは容易ではない。ただ、15歳の選手が25歳になった時にサッカーがどうなっているか、そのために今から身に着けておくべきことは何なのか。それを踏まえて指導する責任があるというミリヤニッチの言葉は説得力があった。
さらに天才的な10代となれば、早々にプロの試合に放り込まれる可能性が高く、いきなり厳しい競争のなかを勝ち抜いていかなければならない。
ルカ・モドリッチは18歳でクロアチアの名門ディナモ・ザグレブのトップチームに昇格したが、すぐにボスニア・ヘルツェゴビナのクラブに貸し出された。プレー環境はかなりの厳しさだったようで、後にモドリッチは「あそこでプレーできれば、どこでもできる」と話していた。タフな環境でMVPに選出される活躍をみせ、ディナモ・ザグレブに戻っている。
そもそも貸し出された理由は、同年代の同じポジションにニコ・クラニチャールという天才選手がいたからだが、モドリッチはクラニチャールを凌駕する選手に成長していった。
レアル・マドリードに来た16歳のウーデゴールがポジション争いで勝たなければならないのは、こういう選手たちだったわけだ。泥まみれで危険なタックルと戦い、同世代の天才少年を凌駕した天才に勝たなければならないというのはハードルが高すぎる。
おそらくウーデゴールは、自分に何が足りないか理解していたのだと思う。それを得るために10年を使えたのは、すでに持っていた能力があったからだろう。いわば才能を担保に入れて時間を稼いだ。その冷静さ、辛抱強さこそ、ある意味最大の才能だったのかもしれない。
著者プロフィール
西部謙司 (にしべ・けんじ)
1962年、東京生まれ。サッカー専門誌「ストライカー」の編集記者を経て2002年からフリーランスに。「戦術リストランテ」「Jリーグ新戦術レポート」などシリーズ化している著作のほか、「サッカー 止める蹴る解剖図鑑」(風間八宏著)などの構成も手掛ける。ジェフユナイテッド千葉を追った「犬の生活」、「Jリーグ戦術ラボ」のWEB連載を継続中。
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