旗手怜央の大学時代 プロになるプレーを先輩から学ぶ「いつも答えではなくヒントだけだった」 (3ページ目)
【自ら考えて答えを導き出す思考】
ただ、大学時代に全体練習以外にもトレーニングをやっていたのは、周りにアピールしたかったり、誰かのためにやっていたりしたわけではない。あくまで自分のためであり、自分がうまくなるためだった。
幸い順天堂大学のサッカー部は、育成年代の代表に選ばれている選手や自分と同じくプロを目指している選手たちも多かったため、自分が名古さんに刺激を受けたように、姿勢を感じ取り、切磋琢磨していける仲間たちだった。
そして、誰かに答えをもらうのではなく、自ら考えて答えを導き出す思考は、プロになってから、より生きたように思う。
特にプロの世界においては、できない選手がいれば、それはすなわちライバルが勝手にひとり減ることを意味する。そう考えると、先輩から進んで後輩を育てる必要はなく、ヒントすら与えてもらえることはない。
プロの世界は、ただ答えやヒントが与えられるのを待っているだけでは、成長できない環境だった。
わずかでも、ヒントをもらうためには、自ら行動して聞きにいくしかなかった。だから、大学時代も自ら名古さんに聞きにいっていたように、川崎フロンターレに加入してからは、気になったことやわからないことがあれば、アキさん(家長昭博)や(小林)悠さんに聞きにいった。
アキさんも、悠さんも、自ら率先して教えてくれることはなかったが、こちらが聞きにいくと、嫌がることなく、喜んで教えてくれた。先輩だからと、そこで遠慮や躊躇していたら、おそらく自分の成長は止まっていただろう。
自分も人見知りなところがあるため、決してコミュニケーション能力が優れているとは思わない。でも、わからないことがあるのに、「今さら聞けない」「恥ずかしい」といった羞恥心が勝ってしまうと、知識も判断材料も増えてはいかない。
「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」といったことわざがある。まさに自分の考えはそこにある。
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