旗手怜央の大学時代 プロになるプレーを先輩から学ぶ「いつも答えではなくヒントだけだった」 (2ページ目)
【本当にお世話になった先輩】
FWとしての選手としての成長を助けてくれたのは、監督やコーチといった指導者だけでなく、まさに先輩をはじめとするチームメートたちのおかげだ。
特に静岡学園高校時代から1学年上の先輩に当たる名古新太郎さん(鹿島アントラーズ)には、本当にお世話になった。
オフ・ザ・ピッチも含め、プロになるためのプレーも、姿勢も、名古さんから学んだところは非常に大きい。高校時代も先輩、後輩という間柄で一緒のピッチに立ったが、大学ではさらにさまざまなことを教えてもらった。
自分がFWにポジションを移してからは、1列後ろで自分に足りないところをすべてフォロー&カバーしてくれていた。2年連続でリーグ戦二桁得点をマークできたのは、まさに名古さんが後ろにいて、のびのびとプレーさせてくれたからだ。セカンドトップとしての動きや質、判断においては、監督やコーチからも多くを教わったが、名古さんのプレーを見て吸収したところは多々ある。
ただ、高校時代にも増して、大学では名古さんと話す機会が増えたが、名古さんにアドバイスを求めても、決して答えはくれなかった。
もらえるのは、いつも答えではなくヒントだけだった。
名古さんはキャプテンを務めるほどの選手で、チームをまとめる力も、チームを導く力も備えていた。だが、プレーにしても、姿勢にしても、意識にしても、名古さんは思っていることを口にするのではなく、対話したうえで、こちらが自分で考えて答えを探す、もしくは導き出すように促してくれた。
これまた振り返ってみると、答えを持っていたとしても、僕に考えさせて行動に移すように仕向けてくれていたようにすら思う。
あくまでこれは例えだけど、「プロになるためにはどうすればいいですか?」や「プロになるために何をやっていますか?」と聞いたとしても、「こういうことをやってみたら」とか、「自分はプロを目指すためにこういったことをやっている」といった具体的なアドバイスをしてくれることはなかった。
「全体練習の時以外にも、何かできることはあるかもしれないよ」
そのヒントと、名古さんの姿勢を見て、自分なりに考えて、ウエイトトレーニングの回数を増やしたり、チームメートに声を掛けて自主練をしたりするようになった。
だから、自分が先輩になった時も、名古さんの背中を思い出して、取り組む姿勢を見せようと考えた。後輩たちが自分の姿勢を見て、何を感じくれていたかはわからないが、自らの言葉で発信するのではなく、自分の行動で示そうと思ってきた。
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