久保建英、先発復帰で敗戦にも現地紙は好意的 物議を呼んだ「怒りパフォーマンス」の影響はなし (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki

【「移籍すべき」などもってのほか】

 前節のエスパニョール戦の久保のゴールパフォーマンスが、日本国内では大いに話題になっている。

 途中出場になった久保はひとりでふたりを抜き去るドリブルから、すばらしい軌道のシュートを決めた。その後、祝福に来たチームメイトたちをかき分け、というより拒否し、タッチラインの近くでスタンドに背中を見せ、自らの名前を誇示。味方に抱きしめられても怒ったままの様子が映し出され、それが物議を醸した。

「ラビア」(激怒、憤激)

 その試合の記事でも書いたように、怒りこそがプレーにエネルギーを与えていた。誤解を恐れずに言えば、「よくあること」。ピッチに立つ選手は、戦地にいるに近く、非日常なのだ。

 たとえば、アラベス戦のオヤルサバルは不当に感じられる退場宣告に対して、主将の腕章を投げ捨て、激しい怒りを示していた。それで「礼儀を欠く」という議論は起こらない。それだけギリギリの戦いをしており、むしろ相応の感情量が必要になる。途中出場で劇的なゴールを決めれば、監督に殴りかかりそうな勢いで汚い言葉を吐くアタッカーもいるのだ。

 久保はシンプルに、ベンチスタートに不満があったのだろうし、幼少期を過ごしたバルセロナの地に戻って、何かほかの理由があったのかもしれない。ただ、理由が何であれ、その怒りは珍しいことではないだろう。

「きっと誰かに向けたジェスチャー」

 イマノル・アルグアシル監督もあっさりと言ってのけていたように、自ら論争の種にするはずもない。監督自身、選手がどのような心境か、理解している。そして結果的に、こうしたカンフル剤が効く形で、久保のゴールが勝利をもたらした。厳しいチーム状況で、ウィークデーにも試合がある過密日程のなか、その起用法にも何ら問題などなかった。

「タケをベンチに置くなんて! こんなチームを捨ててプレミアリーグに移籍すべき」

 そんな意見が、日本のファンの間でも出ている。しかし万が一、そんな形でチームと紛糾して外に出て行ったら、新天地でも活躍することはできないだろう。そうした騒ぎは何より選手本人を消耗させる。後味を悪くし、邪気を纏うことになる。そして新天地でも、少し問題が起こるだけで、「やっぱりあいつは......」となる。悪い連鎖に飲み込まれるのだ。

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