ウクライナの兵士として戦い、サッカーの現場に戻ってきた記者の壮絶な2年半 ユーロ取材と戦場での悲痛な想い (4ページ目)
【またウクライナでサッカーを取材できるよう祈っている】
むろん、以前のようにフットボールの祭典や楽しい雰囲気、スタンドのファンのエネルギー(個人的にはコロナが蔓延してから初だったが)を、心から楽しむことはできなくなっている。キーウが爆撃されたとか、長い停電が始まったとか、妻がテキストメッセージを頻繁に送ってくるたびに、集中が削がれたことを認めるほかない。また戦地の友人がチャットで話しかけてくると、完全に無視することなどできなかった。
どんな状況にあろうとも、人生もフットボールも続いていく。ただし、今も続くウクライナの自由を勝ち取るための戦いには、終わりが見えてほしい。強くそう願っている。
それが現実となったあかつきには、ドイツやポーランドではなく、キーウのオリンピスキ・スタジアムで代表戦やチャンピオンズリーグの試合を、また取材できるようになるだろう。かつては多くの"ピッチ上の激戦"が繰り広げられたシャフタール・ドネツクのドンバス・アリーナも、いずれ修復されることを祈っている。
未来のことなど、なにひとつわからないが、少なくとも私はそう信じている。
ボフダン・ブハ
Bohdan Buha/キャリア20年超のスポーツジャーナリスト。『Ukrayinskyi Futbol』、『Sport-Express』、『Top-Football』といった国内のメディアを経て、2000年代から『UEFA.com』のウクライナ担当に。過去4度の欧州選手権を現地で取材している。ロシアの侵攻が始まってから、ウクライナ軍の兵士となり、激戦地バフムートなど前線も経験。複数の負傷により昨夏に除隊、回復とリハビリを経て、ジャーナリズムの現場へ復帰した。1982年生まれ。キーウ出身。
著者プロフィール
井川洋一 (いがわ・よういち)
スポーツライター、編集者、翻訳者、コーディネーター。学生時代にニューヨークで写真を学び、現地の情報誌でキャリアを歩み始める。帰国後、『サッカーダイジェスト』で記者兼編集者を務める間に英『PA Sport』通信から誘われ、香港へ転職。『UEFA.com日本語版』の編集責任者を7年間務めた。欧州や南米、アフリカなど世界中に幅広いネットワークを持ち、現在は様々なメディアに寄稿する。1978年、福岡県生まれ。
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