山根視来がアメリカに行って感じたこと 「あらためて川崎フロンターレのサポーターはすごかった」
ロサンゼルス・ギャラクシー
山根視来インタビュー
2024年1月、川崎フロンターレの山根視来がロサンゼルス・ギャラクシーに移籍すると発表された。30歳にして初の海外移籍。行き先は「MLS」という新世界を選んだ。
移籍先のチームには、半年前にヨーロッパから渡った吉田麻也という日本代表の大先輩がいる。山根は今、どんな心境でサッカーと向き合っているのか。ロサンゼルスの練習場に足を運び、話を聞いた。
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山根視来にアメリカでの生活を語ってもらった photo by Ryokai Yoshikoこの記事に関連する写真を見る── 30歳で初の海外挑戦です。
「違うところでやりたいな、と思ったんです。なんとなく、この先のキャリアが想像できてしまったんですよ。何があるのかわからない......っていう気持ちでちょっと始めてみたいなと」
── もともと海外願望はあったのですか?
「なくはないんですけど、本気で海外に行きたいと思って、いろいろ契約を含めて準備し出したのは、日本代表に入って以降なんです。代表で海外組の選手との差を痛感して『このままじゃいけないんだ』っていうのをすごく思って。僕はアンダーの代表にも入ったことがなかったので、そういう感覚もわからなかったんですよね」
── 代表でプレーすることによって、海外経験の必要性を感じるようになったのですね。
「数年前から日本以外の国でプレーしたいなっていう思いがあったので、そこに向けて準備をしていました。でも、僕が移籍したいといっても、できるものでもないのでね。毎年、夏・冬どっちも(オファーが来るか)ドキドキしていましたよ」
── そのオファー状況によっては、アメリカ以外の選択肢もあった、と。
「そうですね」
── ギャラクシーに来て半年。ロサンゼルスの生活は気に入っていますか?
「食事面では、オーガニック系のスーパーが多いので気に入っています。デリのお惣菜も鶏胸肉はめちゃくちゃ柔らかくて美味しいし、奥さんがいない時はそのスーパーで選んで食べたりしています。選手生活が終わってもここに住めるなってくらい、楽しんでいますね」
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著者プロフィール
了戒美子 (りょうかい・よしこ)
1975年生まれ、埼玉県出身。2001年サッカー取材を開始し、サッカーW杯は南アフリカ大会から、夏季五輪は北京大会から現地取材。現在はドイツを拠点に、日本人選手を中心に欧州サッカーを取材中。著書『内田篤人 悲痛と希望の3144日』(講談社)。