EURO名場面 日本人の欧州サッカー熱がピークに 2004年ポルトガル大会はサッカー観が一変した名勝負も (2ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki

【ライバルを制して狂喜乱舞】

 舞台はスポルティングの本拠地、ジョゼ・アルバラーデ。リスボンの地下鉄、カンポ・グランデ駅の目の前に立つ新装のスタジアムに、筆者も野次馬根性丸出しで駆けつけた。ポルトガルサポーターとスペインサポーターがやり合うそのド真ん中に入り込み、せっせとシャッターを押した。とはいえ、危ないという感じではなかった。最前線でやり合う両軍サポーターには笑顔があった。殺気と言うより、お祭り的な要素が勝っていた。

 驚かされたのは、ポルトガルがスペインを1-0で下した試合後だった。リスボンの繁華街を南北に延びるリベルダーデ大通りに多くのポルトガル人が繰り出し、狂喜乱舞していた。車の箱乗りは当たり前。トラックの荷台に乗り込み、気勢を上げる人もいた。この光景を見て想起したのは2年前の大田(テジョン)だった。韓国がイタリアを破った決勝トーナメント1回戦の試合後の光景と、それは完全に一致していた。

 日韓W杯では、その直前に日本が宮城でトルコに敗れていたことも熱狂に拍車をかけた。韓国は日本が逃したベスト8入りを決め、我が世の春を謳歌したくなる気分だったのだろう。

 もちろん、韓国でもポルトガルでも、箱乗りは道路交通法違反である。だが、それを咎めたり、実力行使に出る警官は、大田にも、リスボンにもいなかった。この臨機応変な寛容さ。日本では絶対に見ることはできないだろう。

 ポルトガルとスペインの関係を歴史的に見れば、攻めた側はスペインで、攻められた側はポルトガルになる。この点も日本と韓国に似ている。だが、ポルトガルが攻め込まれるたびに援軍を送った国がある。イングランドだ。イングランド人サポーターを嫌がる国が大半を占めるなか、ポルトガルは彼らを暖かく歓待した。

 当時のポルトの監督、ジョゼ・モウリーニョも親英派のひとりだったと思われる。EURO2004の直前に行なわれた2003-04シーズンのチャンピオンズリーグで優勝したモウリーニョに、快進撃を続けるシーズン中に話を聞くと、ポルトの成績のみならず、EURO2004に臨むポルトガル代表も「好成績を挙げるに違いない。期待してくれ」と、アピールした。「ポルトガル代表監督の座は狙わないのか」と尋ねれば「まずイングランドに渡ろうと考えている」と、述べている。

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