横浜F・マリノスからのオファーを断りアフリカへ 中町公祐がサッカーと支援活動の「二刀流」で挑んだ4年半 (4ページ目)

  • 栗原正夫●文 text by Kurihara Masao
  • 竹谷郷一●写真 photo by Takeya Kyoichi

【サッカーは「自分磨きのツール」】

 将来的にはNPO法人の規模をもっと大きくしたい、という中町。そのためには実績が必要で、これまでに後輩でもある慶應大の学生を招き、現地の活動を体験してもらうなどの取り組みも行なってきた。

 中町にとってサッカーとは何か? そう聞くと「自分磨きのツール」だと即答した。

「ほかの選手とは違っていて、サッカーをやっていて楽しいと思ったことはないですからね。これまでのキャリアでも、絶対的なチームの軸になったことはないですし、常に這い上がらなければいけない立場で、壁があったから成長してこれた。

 正直、自分磨きには不都合なことが起きたほうが都合がいいんです。だから、アフリカに行ってキツいことがあっても、『これを求めていたんだ』と頑張れた。サッカー(のレベルや刺激)だけを求めていたらアフリカには行ってません。でも、自分磨きにはアフリカ以上の場所はないですから」

 37歳となり、プロ選手として残された時間が限られているのは理解している。だが、7月中にはザンビアに戻り、再びチーム探しから始めるつもりだ。

「僕は性格的にサムライ気質なところがあるので、最後は死にざまを追って、サッカー選手としてのピリオドを打ちにいく感じですかね」

 中町はそう言うと、楽し気に笑みを浮かべた。

 そんな中町がこの4年半で体感したザンビアのサッカーの現実とは? 後編「大きな音がしたと思ったら銃弾が...」に続く
(つづく)

プロフィール
中町公祐(なかまち・こうすけ)
1985年9月1日生まれ。埼玉県出身。群馬県立高崎高校卒業後、2004年に湘南ベルマーレ入団。4年間で66試合に出場するも戦力外に。2008年、在学していた慶應義塾大学ソッカー部に入部し、1部昇格に貢献。大学卒業後の2010年にアビスパ福岡に入団しJリーガーに返り咲くと、2012年に横浜F・マリノスに移籍し、2018年まで主力として活躍。2019年にザンビアのゼスコ・ユナイテッドに移籍すると、その後はムトンド・スターズ、シティ・オブ・ルサカでもプレー。NPO法人「Pass on」の代表理事を務めるほか、現役選手初のJFA国際委員としてピッチ外でも活躍する。

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