横浜F・マリノスからのオファーを断りアフリカへ 中町公祐がサッカーと支援活動の「二刀流」で挑んだ4年半 (2ページ目)

  • 栗原正夫●文 text by Kurihara Masao
  • 竹谷郷一●写真 photo by Takeya Kyoichi

【なぜザンビアだったのか】

 医療でアフリカの地域支援を行なうNPO法人「Pass on」を自ら立ち上げ、2019年2月にザンビアに渡ると、以降はサッカー選手としてプレーしながら、子どもたちと一緒にボールを蹴り、妊婦さんに安全な環境を提供する"マザーシェルター"を建設するプロジェクトなどを進めてきた。

 ザンビアに行くことになった経緯について、中町はこう補足する。

2019年からザンビアでプレーしている中町公祐2019年からザンビアでプレーしている中町公祐この記事に関連する写真を見る「アフリカで国際支援活動をやるうえでは、南アフリカやケニア、ナイジェリアのようなアフリカのなかでも大国と言われる国は自分の活動にマッチしないと思いましたし、フランス語圏ではなく英語が通じる国を探していました。そのうえで知人の伝手があり、アフリカのなかでは比較的治安が安定しているザンビアはピッタリだったんです。

 社会貢献活動については自分がマリノス時代にJリーグの選手会副会長をやっていたこともあって、一般の人に比べ高額なサラリーを手にできるサッカー選手が、個人や団体にかかわらず社会に対しどんな還元ができるか、ということはずっと考えていました。特に自分の場合は、息子を亡くしたときにマリノスサポーターに支えてもらいましたから。息子を亡くした翌シーズンの開幕戦、通常試合前のチャントはGKから始まるのに、ベンチスタートだった僕の名前がいちばん最初に呼ばれ、感動したのは今でも覚えています。

『マリノスに残っていれば(2019年の)優勝を経験できたのでは』とも言われます。でも、給料が10分の1以下にまでなって行ったわけですし、ただお金や物を送り支援するのではなく、自分が現地に行ってプレーすることで本気度を示したかった。もちろん無謀なチャレンジになる可能性もありましたが、そうなったとしても、過去にJ1からアフリカのクラブへ移籍した選手なんてひとりもいないですし、自分の色を出し、やりたいことに挑むことは僕のキャリア形成にとってプラスになるんじゃないかと考えたんです」

 2020年1月には、国内リーグで相手選手と接触し、絡んだ選手の踵(かかと)で頬を裂傷。肉がそがれてしまうほどの大ケガを負ったことを理由に、契約を1年残したまま理不尽にもゼスコ・ユナイテッドから解雇通告を受けた。その後は1年以上所属クラブが見つからず、心が折れかけたこともあったという。

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