横浜F・マリノスからのオファーを断りアフリカへ 中町公祐がサッカーと支援活動の「二刀流」で挑んだ4年半 (3ページ目)

  • 栗原正夫●文 text by Kurihara Masao
  • 竹谷郷一●写真 photo by Takeya Kyoichi

【NPO法人代表としての活動】

 だが中町はザンビアに残り、2021年4月からザンビア3部リーグのムトンド・スターズ、翌年は同2部のシティ・オブ・ルサカでプレーし、昨季は正式契約には至らなかったものの、同1部のヌクワジで練習参加を続けながら現地で活動してきた。

「4年以上続けていることに驚いた? 当初から1、2年で帰るつもりはなかったですし、仮にサッカーがうまくいかなくなったとしても、おめおめと帰ってくるようなことはしたくなかったですから。もちろん所属クラブが見つからず、気持ち的にはしんどい時期もありました。ただ、現地で活動するうえでは、スポンサーさんだったり、ボランティアの方にも協力してもらっていますし、プレーヤーとしてもまだやれる自信はあったので、簡単には投げ出せませんでした」

 決して順風満帆ではなかった。だがサッカー選手と、NPO法人「Pass on」の代表という二足の草鞋を履き、ザンビアに笑顔を届けてきた。

「サッカーボールやユニフォームも送っていますが、ただ送るよりも、実際に外国から来たプロ選手とボールを蹴ることで、より子どもたちが刺激を受け、夢を持つキッカケになってくれたらいいかなと。

 医療系のNPO法人としてはマザーシェルターをつくってきましたが、簡単に言えば妊婦さんの待機所です。ザンビアでは遠くから来る患者さんが待つ場所がないし、彼女たちにとってはトランスポートのお金(交通費)も安くなく、一度帰って出直すことも容易ではないんです。そのため、外で焚火をしながら夜が明けるのを待っている人もいました。だから、まずは待機所を増やすこと。もちろんマタニティベッドだったり、物資も必要なわけで、日本の企業さんの協力のもと、そうしたものも用意してきました」

 ただ、発展途上のアフリカのザンビアでは、物事がスムーズに運ぶことはなく、中町自身これまでの活動の「手応えや充実感は一切ない」と言いきる。

「行ってみないとわからないことは多い。たとえば、外国から送られてきた衣類にしても、送った人は満足していても、現地で廃棄されているのを目にしたことがあります。向こうでは日本のように契約があるからといって、それが全うされない現実もある。宗教も文化も違う国で、戸惑うような出来事にあうことは珍しくない。それでも、支援活動に正解も不正解もないのかなと思ってやっています」

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