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昨季ブータンの得点王&MVPに聞く「なぜそこに日本人サッカー選手が?」 日本代表招集は幻に (3ページ目)

  • 栗原正夫●文 text by Kurihara Masao
  • photo by Honma Kazuo

【J3クラブからのオファーは断った】

 東欧でコンスタントに得点を重ね、ラオスとブータンで通算6度の得点王に輝いた本間だが、Jリーグでプレーする機会には恵まれなかった。

ラオスでプレーしていた時代の本間和生ラオスでプレーしていた時代の本間和生この記事に関連する写真を見る ハンガリー1部のBFCシオフォクに所属していた2011年、日本代表の招待参加が予定されていた南米選手権に、東日本大震災の直後で国内組の参加が困難となり、海外組だけでメンバーを組む案が浮上した。このとき「日本代表のリストに本間和生が入ったのでは」とニュースになったことはあったが、最終的には日本代表の招待参加自体がなくなり、本間の代表入りも幻となった。

「そのときは知人からすごいメッセージが来たんですけどね(苦笑)。ラオス時代にエージェントを通して、J3のあるクラブから『経験ある選手を求めているから』と誘われたことはありましたけど、結局は断りました」

 1980年3月生まれの本間は、Jリーグ経験も日本代表経験もないが、隠れた"黄金世代"のひとりと言っていいかもしれない。

 東欧から東南アジアへと渡り、ブータンを経て、現在はタイ3部のサムットプラーカーンFCに復帰している。決して計画していた歩みではなかったが、プレーする場所やカテゴリーにかかわらず、求められることに応えてきたからこそ築けたキャリアだ。

「一般的にはラオス(FIFAランキング187位)やブータン(同185位)のレベルはJリーグ(日本は同20位、昨年12月時点)より低いかもしれないですが、『じゃあ、そこで活躍できますか?』と言えば、またそれは違う話だと思います。

 プロとして生活していくにはどうしたってお金は必要ですが、僕はお金に執着しているタイプではないですし、一番の財産は海外に出て日本に暮らしていたらできなかったことを経験できたこと。若いころはもっとレベルの高い国でやりたいとか、競争意識もありました。でも東欧からラオスに行ったのも、キャリアの晩年だからとか、そういうことではなく、サッカーが好きで、純粋にそこにチャンスがあったからです。

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