昨季ブータンの得点王&MVPに聞く「なぜそこに日本人サッカー選手が?」 日本代表招集は幻に (2ページ目)

  • 栗原正夫●文 text by Kurihara Masao
  • photo by Honma Kazuo

【セルビア、ハンガリー。ラオスにも】

 ブータンは経済的に恵まれた国ではない。しかし、折に触れて「世界一幸せな国」と称される。実際はどうなのか。本間は肌で感じた様子をこう話す。

昨年、ブータンでプレーしていた本間和生昨年、ブータンでプレーしていた本間和生この記事に関連する写真を見る「どうなんでしょうね(苦笑)。一般的には国の豊かさを図る指標はGDP(国民総生産)だったりすると思うのですが、ブータンはGNH(国民総幸福量)という独自の指標を掲げて国作りをしているので。

 今ではブータン人も普通にスマホを持っていますし、経済的な刺激を受けて海外に移住したいという人も増えてきているみたいです。チームメートからもそういう話は聞きましたし、実際にオーストラリアに移籍した選手がいましたからね」

 かつてブータンは閉ざされた神秘の国というイメージがあった。だが、現代社会において伝統を守りつつも、国際化が進んでいることは当然なのかもしれない。

 それにしても、本間のキャリアはほかに例がないほど独特だ。高校時代は埼玉の名門・大宮東でプレーしながらも、全国大会出場経験はなし。リエゾン草津(現ザスパクサツ群馬)などを経て02年にセルビアに渡ると、04年からハンガリーで9年、ラオスで7年プレーしてきた。

 これまでも海外に出た選手は数多いが、これほど長くプレーした選手は珍しい。ハンガリーでは1部と2部で8クラブを渡り歩き、1部で計118試合34ゴール、2部で計52試合25ゴールをマークした。ラオスでも7年でリーグ通算156ゴールと高い得点力を発揮し続けた。

「長く海外でプレーし続ける秘訣? この歳になって、結果を出さないといけないというのは余計に感じます。

 パーソナリティの部分では、自分はどこに行っても目の前のことを受け入れてきました。たとえば目の前に出された料理に対し『これは食べられない』という人がいるのは理解できますが、自分に関してはそういうことがなかったし、仮に現地の言葉がわからなくてもできるだけ何でも受け入れてやってきたというか......。

 FWというポジションがら、密にコミュニケーションを取るというよりも、周りの選手の特徴や癖を掴み、うまくボールを引き出すように意識はしていました。あとはロッカールームでチームの爆弾になるようなことは避けようと立ち回ったり。もちろん、プロである以上、それだけではダメですし、結果を出した上での話ですけどね」

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