南野拓実はなぜモナコで出場機会を失ったのか 移籍金22億円に対してフランスで厳しい評価 (2ページ目)

  • 中山淳●取材・文 text by Nakayama Atsushi
  • photo by Getty Images

【若手にポジションを奪われ...】

 とりわけ、ワールドカップ中断後は出場6試合(先発2試合)と出場機会が著しく減少している。その要因は主にふたつある。

 ひとつは、南野が左MFで先発したリーグ再開後初戦のオセール戦(第16節/2022年12月28日)で、当時17歳のエリース・ベン・セギル(現在18歳)が彗星の如く登場したことだ。

 南野がアレクサンドル・ゴロヴィンと代わってベンチに下がった一方、後半開始から途中出場したフォルマション(下部組織)育ちの逸材は、その試合でいきなり2ゴールの鮮烈デビューを飾った。その後もベン・セギルは着々と出場機会を増やし、すでにリーグ戦で13試合に出場して4得点1アシストをマーク。あっという間にレギュラー争いに割り込んだ。

 卓越したボールテクニックに加え、すでに成熟した戦術眼も兼ね備えているベン・セギルは、クラブにとって"金の卵"だ。しかも内容に結果もついてきており、それが南野の出場機会が減少した要因のひとつとなった。

 もうひとつは、クレマン監督がワールドカップ中断後から布陣を固定し、各選手をそれぞれのポジションにあてはめていることが大きく影響している。

 それ以前の南野は、両サイドMF、2トップの一角、トップ下、あるいはシャドーなど、前線の複数ポジションで起用されていた。そのため、先発はもちろん、ベンチスタート時でも出場チャンスが回ってくることも多かった。

 ところがワールドカップ中断後は、クレマン監督が基本布陣を4-2-3-1(守備時は4-4-2)に固定。唯一、第25節のニース戦だけは相手に合わせて3-5-2を採用したが、0-3で完敗したこともあってか、その後は一切3バックを採用していない。

 さらに、各選手を起用するポジションも固定したため、南野のサイドMF起用も前述のオセール戦を最後に消滅。南野に与えられたポジションは、トップ下(または2トップの一角)に限定されることになった。これも、出場機会の減少につながっている。

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