「もはや無敵」なのは誰か ハーランド、オシムヘン、古橋亨梧... ゴールを量産する秘密を風間八宏が解説 (3ページ目)

  • 中山 淳●取材・文 text by Nakayama Atsushi
  • photo by Getty Images

【古橋亨梧はゴールを決めるための動きに変化】

 では、最後に解説してくれたセルティックの古橋亨梧は、なぜゴールを量産するようになったのか。スコットランドでリーグ戦20ゴールを量産する日本人ストライカーの進化について、風間氏はどのように見ているのか。

「現在の古橋は、ペナルティーエリア内のポジションどりがすごくよくなっていて、常にシュートを狙う、ゴールを決めるための動きをするようになっています。日本でプレーしている時には想像もできなかったような成長を遂げていると思います。

 もともとボールを受ける動き、相手の背後をとることはうまい選手でしたが、それに加えて、最近はゴール前での動きが変わりました。ボールにすぐに反応するのではなく、自分がゴールを決められる場所に反応するようになってきているので、真のストライカーになってきたという印象を受けます。

 さすがにハーランドやオシムヘンのように相手が届かないところに届くというわけではありませんが、古橋には俊敏性や正確性という特徴があります。また、相手の背後からタイミングよく前に出ていくので、相手につかまらない。その動きがゴールに直結していて、体をゴールを決める方向に向けることも繰り返しできるようになりました。

 おそらく、日本でプレーしている時はスピードという特徴を生かしてボールをもらい、なるべく多くボールに触れることを意識してプレーしていたと思いますが、現在はゴールを決めるためのプレーを第一に意識しているのではないでしょうか。だから、ペナルティーエリア内のような狭い場所でもフリーになれるようになったのだと思います。

 この変化、成長はすごいことで、シーズン20ゴール以上を決めた実績によって、今後は移籍の話が舞い込んでくる可能性は十分にあるでしょう」

 ペナルティーエリア内でこれだけ質の高い仕事を遂行するアタッカーは、日本人選手のなかではあまり見受けられない。風間氏が言うように、ゴールを奪うという特別な能力を身につけた古橋は、まだキャリアアップの可能性を秘めていると言えるだろう。

 もちろん招集されれば、日本代表の戦力としても頼れる存在になってくれそうだ。

風間八宏 
かざま・やひろ/1961年10月16日生まれ。静岡県出身。清水市立商業(当時)、筑波大学と進み、ドイツで5シーズンプレーしたのち、帰国後はマツダSC(サンフレッチェ広島の前身)に入り、Jリーグでは1994年サントリーシリーズの優勝に中心選手として貢献した。引退後は桐蔭横浜大学、筑波大学、川崎フロンターレ、名古屋グランパスの監督を歴任。各チームで技術力にあふれたサッカーを展開する。現在はセレッソ大阪アカデミーの技術委員長を務めつつ、全国でサッカー選手指導、サッカーコーチの指導に携わっている。

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