家本政明が審判目線で感じたカタールW杯の裏メッセージ。「11人対11人でなくなるとフットボールが変わってしまう」 (2ページ目)

  • 篠 幸彦●取材・文 text by Shino Yukihiko
  • photo by Getty Images

【イエローは多く、レッドカードは少なかった】

 2つ目は安全への配慮です。判定基準や懲戒罰のところで、踏みつけるだとか、後ろからのチャレンジに対して丁寧に笛が吹かれていた印象を持ちました。多くの人が理解しているノーマルなフットボールコンタクト、「これは反則じゃないよね」というようなコンタクトに対しても、割と吹いていた印象です。

 その笛に関して競技規則としては正しいし、妥当だと思います。あくまでこれまでのW杯で吹かれてきた笛と比べて、だいぶ丁寧だなという話です。笛の数も多くて、イエローカードも多かった。一方でレッドカードは少なかったと思います。

 これは裏のメッセージとして、11人対11人でなくなるとフットボールが変わってしまうので、極力レッドカードは出さずにマネージメント、コントロールする。どうしようもないものは仕方ないけど、それ以外はイエローで十分、というものがあった可能性があります。

 また、Jリーグと同じようにW杯でも、レフェリー側が大会前に各国の選手やスタッフへ追加時間の正しさ、選手の安全など、いろんな価値やあり方のスタンダードを伝えたことで、あまり悪さが少なかった点もあると思います。

 この選手への安全の配慮は世界的な流れとなっていて、VARというテクノロジーの抑止力も含めて共通認識が前回大会以上にオーガナイズされていた印象がありましたし、改めてそれが示された大会だったと思います。

 3つ目は没個性です。フットボールは世界中で文化、歴史、宗教、価値観、さまざまなものが異なるなかでプレーされていて、そこで生まれる選手の個性が大事だと思います。それはレフェリーにもあっていいと思うし、面白さの一つだと思っています。

 その反面、W杯のような短期決戦のなかで、レフェリー各々の癖を選手サイドが知るのは難しい。そういう意味で個性よりもある程度統一化されたもののほうが、フットボールの魅力、価値が高まるという考え方に基づいてオーガナイズされていたと思います。

 その考え方によって、各国のトップ・オブ・トップのレフェリーたちが集まっていたわけですが、各々が普段のリーグで見せているようなレフェリングスタイルではなく、すごく型にはまっていて、変数が少ないレフェリングだったなと感じました。

 総じてどのレフェリーもよく走って、ポジションにものすごくこだわって、マネージメントも判定も丁寧。懲戒罰も基本に忠実でした。そうしたものが徹底して統一されていたことで、試合ごとの判定に差がなかったと思います。

 仕方ないと思う反面、レフェリーの個性が消されていたのには少し違和感を持ちながら見ていました。個人的にはテクノロジーとヒューマニティのコラボもフットボールの魅力の一つだと思っているので、人間味のある部分がすごく削ぎ落とされてしまったのは少し寂しいなと感じています。

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