家本政明が審判目線で感じたカタールW杯の裏メッセージ。「11人対11人でなくなるとフットボールが変わってしまう」 (3ページ目)

  • 篠 幸彦●取材・文 text by Shino Yukihiko
  • photo by Getty Images

【より正確さ、厳密さに寄っていくレフェリング】

 テクノロジーの進化の部分では、まず開幕戦の序盤でいきなり半自動オフサイドテクノロジーが働くシーンがあって、「こういうことなんだ」と示す意味ではよかったと思います。

 ただ、VARはその精神として「はっきりとした明確な間違い」「見過ごされた重大な事象」に関してレフェリーに介入すると大きく2つあるんですね。

 その精神からは、少し正確さ、厳密さのほうへ寄ったシーンで、VARがレフェリーにリコメンドし、レフェリーも映像を見てそのまま採用してしまう試合がありました。

 例えばグループリーグ第3戦のポルトガル対ウルグアイであった終了間際のハンドのシーン。ブルーノ・フェルナンデスがドリブルでホセ・ヒメネスの股を抜いていく時に、倒れながら止めようとしたヒメネスの手にボールが当たったという判定でハンドになりました。

 主審はイランのアリレザ・ファガニーでしたが、VARが見せた映像のアングルに疑問を持ちました。あの時、ゴール側からのアングルを見せていたんですが、本来であれば真横からのアングルを見せて、支え手として倒れようとしているのかを見るべきなんです。

 手に当たったという事実はいいんですが、その事実をどう解釈するか。ハンドは主審の主観で判断されるものなので、その場合、VARの映像の見せ方は違うんじゃないかなと思いました。

 前回大会であれば、リコメンドがあってもレフェリー自身の判断によるレフェリングだったんですけど、今大会はほぼすべて見た映像をそのまま採用していました。レフェリングとしては正しいんですが、僕が理解する先ほどの2つの精神の価値基準からすると、だいぶ細かいところまでVARが入ってくるようになったなと感じました。

 今後、そうした基準になっていくのならそれはそれでいいと思うんですが、フットボールというファジーなスポーツにおいて、どれだけ正確さ、厳密さに寄っていくのかは見ものだと思っています。

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