弱小スペイン代表に風が吹き始めた。クラブチームが牽引して攻撃サッカーの旗頭に (3ページ目)
クラブレベルではスペイン勢がCLを席巻
ところが、初戦でスペインは躓く。ナイジェリアに2-3で打ち負けてしまったのだ。続くパラグアイには0-0で引き分け。3戦目のブルガリア戦にようやく本領を発揮し、6-1で勝利したが、ナイジェリア、パラグアイにグループリーグ突破を許すことになった。
それでもスペインには順風が吹き続けた。1999-00シーズンのCL決勝は、レアル・マドリード対バレンシアという、スペイン勢同士の対決となった。同国勢同士の決勝は史上初。スペインのクラブサッカーには勢いがあることを証明する決勝戦だった。
欧州のサッカー界には攻撃的サッカーの風が吹いていた。1997-98のCL決勝で、攻撃的なレアル・マドリードが、守備的なユベントスを破ったことで、欧州サッカーは流れが変わった。相変わらず守備的なイタリア、ドイツと、スペインが旗振り役を務める攻撃的陣営とに、欧州サッカー界は2分されていた。
2002年日韓共催W杯を目前に控えた2001‐02シーズンのCL決勝でも、レアル・マドリードが優勝。過去5年間で隔年ごとに3度優勝を飾り、欧州にその名を轟かせた。その余勢を駆って、2002年W杯を戦うスペイン代表への期待は、4年前のフランス大会以上に高まっていた。
ところが、光州で行なわれた準々決勝で、開催国の韓国に延長PKの末に敗れてしまう。延長前半2分にはホアキン・サンチェスの折り返しを、フェルナンド・モリエンテスが頭で押し込んだが、判定はノーゴール。副審は、キックの前にゴールラインを割っていたとフラッグを上げたが、スロー映像で見るとボールはオンラインで、スペインはいわば誤審に泣いた格好だった。
大会直後、スペインを訪れれば、顔見知りの地元記者がさっそくこの誤審について、同意を求めてきた。「でも1982年スペインW杯の、対ユーゴスラビア戦のジャッジよりは数段マシでしょ」と、筆者が意地悪く切り返すと、彼は急に顔を曇らせ、沈黙してしまうのだった。
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