パリ・サンジェルマンの激動の歴史。かつては降格争い、借金まみれ、スポンサーもさじを投げた (3ページ目)

  • 中山淳●取材・文 text by Nakayama Atsushi
  • photo by AFLO

どん底状態に陥った2000年代

 その手始めとして、ポルトを欧州の頂点に導いたポルトガルの名将アルトゥール・ジョルジェを招聘して改革に着手。クラブのレジェンドでもあるMFサフェト・スシッチら多くの主力を放出し、代わりにDFリカルド・ゴメスとMFヴァウドのブラジル代表コンビ、MFポール・ル・グエンやロラン・フルニエら国内の有力選手を一気に補強すると、そこから一気に実力と人気を兼ね備えたスター軍団化が始まった。

 フロントはその後も、リベリア代表FWジョージ・ウェア、フランス代表の若き天才MFダビド・ジノラ、ブラジル代表MFライー、フランス代表FWユーリ・ジョルカエフといったスター性のある実力者を次々と獲得。1990年代半ばまでにUEFAカップウィナーズカップ(現ヨーロッパリーグの前身のひとつ)優勝1回、リーグ優勝1回、フランスカップ優勝2回と、クラブ史上最初の黄金期を謳歌した。

 しかし、この世の春は間もなく終焉する。1990年代後半から下降線を辿り始めると、放漫経営のツケによってクラブの財政も悪化。2000年代半ばには、国内随一の借金まみれのクラブに成り下がってしまったのだった。

 そして2006年、ついに『Canal+』はさじを投げ、コロニー・キャピタルを筆頭とするアメリカの投資会社にクラブを売却。そして2007--08シーズン、チームは残留争いに巻き込まれ、最終節のソショー戦でFWアマラ・ディアネによる伝説の2ゴールで九死に一生を得たものの、まさにクラブはピッチ内外でどん底状態に陥っていた。

 そんなPSGの救世主となったのが、カタール投資庁の子会社にあたる『QSI(カタール・スポーツ・インベストメント)』だった。彼らがPSGを買収したのは2011年。前年12月にカタールで2022年ワールドカップの開催が決定して間もない頃の話である。

 新たな資金源を手にしたPSGは、そこから別次元のクラブに変貌。これまでに投資されたマネーの規模も、ブランディングのレベルも、『Canal+』時代をはるかに上回る。すべてにおいて、カタール資本化してからのPSGは世界的にトップクラスのメガクラブに飛躍を遂げたと言っていい。

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