パリ・サンジェルマンの激動の歴史。かつては降格争い、借金まみれ、スポンサーもさじを投げた (2ページ目)
PSGとレアルの意外な接点
のちにパルク・デ・プランスをホームスタジアムにしたPSGだが、クラブハウスを含めた練習場は現在もサンジェルマン=アン=レーにある通称"カン・デ・ロージュ(オレドー・トレーニング・センター)"を使用している。今後は同エリアのポワシーに建設中の新トレーニングセンターに移転する計画だ。
興味深いのは、仮想クラブのパリFCを創設する際、レアル・マドリードが関わっていたことだ。何もないところからクラブを作るべく、当時パリFC創設を主導したボードメンバーがアドバイスを求めたのが、レアル・マドリードのレジェンドのひとりで、当時会長を務めていたサンチャゴ・ベルナベウだったのだ。
クラブ経営のノウハウを熟知するベルナベウ会長は、彼らにクラウドファンディング(寄付)によって資金とパリ市民の署名を集めることを進言。結果的にそのアイデアが奏功し、クラブ創設のための資金調達に成功したのである。
レアル・マドリードとPSGと言えば、最近ではエムバペ移籍問題の綱引きなど、何かと因縁の多い関係性がある。しかしPSGの歴史を語るうえで、実はレアル・マドリードが重要な役割を果たしたことは、見落とせない史実と言えるだろう。
いずれにしても、ビッグクラブの多くがすでに100年以上の歴史を重ねていることを考えれば、2020−21シーズンにクラブ創立50周年を迎えたばかりのPSGは、ヨーロッパのなかでは相当に若いクラブだ。そこは、覚えておきたい。
そんな特殊なかたちで産声を上げたPSGが、初めてタイトルを獲得したのは1980年代前半のこと。MFルイス・フェルナンデス、FWドミニク・ロシュトーといった名手を擁し、1981--82シーズンからフランスカップ2連覇を果たすと、1985--86シーズンには故ジェラール・ウリエ監督率いるチームが悲願のリーグ初タイトルを獲得する。
ただし、その後はベルナール・タピが会長に就任したマルセイユが時代を席巻。PSGが最初の黄金期を迎えたのは、マルセイユの凋落が始まった1990年代に入ってからだ。1991年にフランスの有料チャンネル『Canal+(キャナル・プリュス)』がPSGを買収したことで、クラブの商業化が加速。国内随一の資金力をバックにメジャー路線を歩み始めた。
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