アンチェロッティが「名将」にバケた日。恩師サッキとは異なる「柔軟性」を選び、史上初の欧州5大リーグ全制覇 (2ページ目)

  • 中山淳●取材・文 text by Nakayama Atsushi
  • photo by AFLO

サッキの右腕としてスタート

 現役時代はローマやミランで活躍し、イタリア代表MFとしても知られていたアンチェロッティが本格的に指導者の道を歩み始めたのは、ちょうど30年前の1992年。ミラン時代に薫陶を受けた名将アリーゴ・サッキの右腕として、イタリア代表のアシスタントコーチを務めたことが物語の始まりだった。

 すると、1995年に当時36歳の若さでレッジャーナ(セリエB)の監督に就任したアンチェロッティは、そのシーズンにチームをセリエA昇格に導き、翌シーズンには自身の古巣でもあるパルマ(セリエA)の監督に昇進。初年度にリーグ2位の好成績を収めたことで、一躍注目を浴びる存在となった。

 その後、ユベントスを率いた時代まではシルバーコレクターだったアンチェロッティだが、ミラン時代2年目にあたる2002--03シーズンに初タイトルを獲得。それが、マルチェロ・リッピが率いるユベントスを破って手にしたCL優勝という勲章だ。

 ただ、その頃のアンチェロッティは、サッキ直伝のマニアックな守備戦術に自分流のアレンジを加えた手堅いサッカーを標榜していて、好成績を残しても「ウノゼロ(1−0)のアンチェロッティ」と揶揄されることもあった。ユベントスとのCL決勝がゴールレスドローの末のPK戦だったことも、その象徴だ。

 そのためか、翌シーズンに初めてスクデットを獲得した頃から少しずつ攻撃的なスタイルを取り入れるようになると、頑固一徹だった恩師サッキとは異なる"柔軟性"を垣間見せる監督に変貌。それによって生まれた懐(ふところ)の深さこそが、アンチェロッティのバックボーンになっていると見ていいだろう。

 実際、今シーズンの仕事ぶりを振り返っても、懐の深さや引き出しの多さ、あるいは柔軟な采配が際立っていた。たとえばそれは、新戦力のエドゥアルド・カマヴィンガの起用法を見てもよくわかる。

 シーズン序盤はユーロ2020やコパ・アメリカの影響で主軸の合流が遅れたため、19歳のカマヴィンガを得意なポジションであるインテリオールで積極的に起用し、フランス代表MFの実力を発揮させた。だが、主軸のカゼミロが戦列に戻ってからはベンチに置き、ベテランのプレーから学ぶ時間を増やしている。

 そして時折与えた出場機会では、カマヴィンガが不慣れなピボーテ(アンカー)で起用した。まだ完璧にこなすまでには時間を要するものの、その成果はシーズン終盤戦の大事な試合でも示された。

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