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オシムが祖国と教え子たちにもたらしたもの。50年来の友人記者が激動の人生を振り返る

  • ズドラフコ・レイチ●文 text by Zdravko Reic
  • 利根川 晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

 サッカーの巨匠、イビチャ・オシムが80年の生涯を終えて旅立った。彼は祖国のボスニア・ヘルツェゴビナだけでなく、オーストリアや日本でも尊敬されていた。偉大な監督の死に多くの人が心を痛め、彼を悼む多くの声が家族やボスニア・ヘルツェゴビナサッカー協会に寄せられている。

 サッカー協会幹部のひとり、バキル・イツェベゴビッチはこう述べている。

「オシムは永遠の旅に出た。選手として監督として、そして何より唯一無二の人間として、彼が足跡を残した土地の人々の心と歴史に残り続けるだろう」

 彼の葬儀は5月14日にサラエボで行なわれる予定だが、国葬のようなものになるに違いない。

グラーツ(オーストリア)で行なわれた追悼のセレモニー photo by AFLOグラーツ(オーストリア)で行なわれた追悼のセレモニー photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る 私とイビチャ、いやシュワーボ(シュワーボはボスニアの言葉でドイツ人という意味。その金髪から彼はそう呼ばれていた)は50年来の友人だ。私はクロアチアのジャーナリスト、彼はボスニアの選手であり監督だが、私たちが知り合った頃は、同じユーゴスラビアの同胞だった。

 オシムがユーゴスラビア代表を率いていた頃、彼と我々記者はとても近しい関係にあった。立場上の垣根を越え、同じユーゴスラビアのサッカーを担うものとして、夜が更けるまでサッカー談義に花を咲かせることもしばしばだった。世界のサッカーの情勢について、そしてなにより我が国のサッカーを発展させるにはどうしたらいいか。ともにボールを蹴ることも何度かあった。

 彼は非常にオープンな人柄で、自分の意見やアイデアも私たち記者に惜しみなく教えてくれた。他人の意見を聞くのも好きだったが、頑固一徹なところもあり、本当に納得しない限り、持論を曲げることはなかった。イビチャは常に自分の考えに従い行動した。譲歩することはなく、周囲に左右されることはなかった。

 彼とサッカーの話をするのは本当に面白かった。人生に対する言葉も示唆にあふれていた。

 だが、記者と監督の蜜月時代は90年のイタリアW杯を境に終わってしまった。この時、イビチャはユーゴスラビア代表を率いていた。いい選手をそろえた強いチームだったが、残念ながらベスト8で敗退した。ベオグラードの記者の一部が、乱暴な方法で彼を攻撃するようになってからは、彼は記者と交わるのをやめてしまったのだ。

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