家長昭博をすこぶる評価。元ファンタジスタながら理想的な指揮官がいた

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by Mutsu Kawamori/MUTSUFOTOGRAFIA

ファンタジスタ×監督(6)
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 ジョゼップ・グアルディオラが現役引退後、すぐに監督として成功できた理由ははっきりとしている。

 キャリアの晩年、グアルディオラは監督になる準備を入念にしていた。バルセロナが苦手としたイタリアのサッカーにあえて飛び込み、その極意を研究。その成果は、ショートカウンターの確立につながった。選手生活の最後のシーズンには、敬愛するフアン・マヌエル・リージョ(元ヴィッセル神戸監督)のチームでプレーし、選手として指導を体感した。

「練習後、ペップ(グアルディオラ)は私を一時も放さないほど、質問攻めにしてきた。彼と話すのは楽しいから、毎日のように話し込んだ」

 今やマンチェスター・シティでタッグを組むリージョは、そう振り返っていた。グアルディオラの好奇心と探求心は並外れていたという。論考する習性は、そのまま名将の条件と言えるかもしれない。

 一方、ファンタジスタは直感で生きる。芸術家に似ているだろう。答えは論理的思考で導き出すものではなく、すでにあるものだ。

「選手がピッチで自由を謳歌してこそのサッカー。監督なんていなくても、選手たちはプレーできる」

 そう語るミカエル・ラウドルップ(56歳)は、まさに<ファンタジスタ×監督>の典型だ。今はどこの指揮もとらず、雌伏の時を過ごしているが――。

マジョルカを率いていた当時のミカエル・ラウドルップマジョルカを率いていた当時のミカエル・ラウドルップ ラウドルップは、美しく色気のある選手だった。堅牢な守備を、1本のループパスで崩してしまう。超絶技巧の持ち主で、何より創造性に恵まれ、「サッカーの可能性は無限大」と感じさせた。

 1989-90シーズン、イタリアのユベントスからバルセロナに入団したラウドルップは、選手としての最盛期を迎えている。

 ヨハン・クライフ監督(当時)のバルサは、「無様に勝つことを恥じよ、美しく敗れることに誇りを持て」という異端な哲学を持っていた。圧倒的なボールキープで、自由に攻撃し続けることが信条。フリスト・ストイチコフ、ロナウド・クーマン、グアルディオラなど、スペクタクル主義を体現できる選手も擁していた。

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