中田英寿を上回る天才に起きた悲劇。リーガに「ぶっとんだ自信」で挑んだ【2020人気記事】
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新型コロナ渦に見舞われた2020年。スポーツ界も東京五輪・パラリンピックの延期決定など多くの打撃を受けた。そのなかでもスポルティーバでは様々な記事を掲載。2020年に配信された記事のなかで反響が大きかったものを再公開する(5月18日掲載)。
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リーガに挑んだ日本人(1)
日本人がスペイン、リーガ・エスパニョーラに挑戦する――。それはもはや日常と化している。
乾貴士(エイバル)、久保建英(マジョルカ→ビジャレアル)はトップリーグで活躍を遂げ、柴崎岳(デポルティーボ・ラ・コルーニャ→レガネス)、岡崎慎司(ウエスカ)、香川真司(サラゴサ→現フリー)は2部リーグで奮闘し、安部裕葵はバルサBから虎視眈々とトップデビューを狙う。名門レアル・マドリードの下部組織では、今年17歳になった中井卓大が研鑽を積んでいる。
今やスペインで、日本人選手は珍奇な存在ではない。
だがかつて、これが夢物語に近い時代があった。昔話というほど昔のことではない。21世紀に入って、徐々に先人たちが足を踏みしめ、"開拓"してきた。
その先駆けになったのは、当時、日本サッカー界で「天才」の名をほしいままにした男だった――。
1993年のU-17世界選手権に出場した財前宣之 1993年、日本で開催されたU-17世界選手権で、その男・財前宣之は頭角を現している。グループリーグ3試合(ガーナ、イタリア、メキシコ)すべてでマン・オブ・ザ・マッチを受賞。さまざまな球種を蹴り分けるセンスは、称賛の的だった。日本のベスト8進出に貢献して大会ベストイレブンにも選ばれる。攻撃的MFとしては、その後イタリア代表として活躍することになるフランチェスコ・トッティを凌ぐ評価だった。
「中田(英寿)はよく言っていました。『ザイ(財前)が見本だった」って』
当時、U-17代表コーチだった小見幸隆氏はそう証言していた。
「ザイのような天才がいたから、中田も刺激を受けた。右に切り返す動きひとつをとってもスルーパスにつながっていて、センスに驚かされました。U-17代表でも圧倒的なうまさで、練習でデモンストレーションをするのは、いつもザイでした。中田はそれを体育座りで見ていましたね」
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