中田英寿を上回る天才に起きた悲劇。リーガに「ぶっとんだ自信」で挑んだ【2020人気記事】 (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • 山添敏央●写真 photo by Yamazoe Toshio

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◆語り継がれる中田英寿の伝説。あの日セリエAでイタリア人の度肝を抜いた>>

 中田に限らず、宮本恒靖も松田直樹も、凡庸に見えたという。たとえば、自陣から敵陣に長いボールを蹴り込んでの攻撃で、財前はアウトサイドでスピンをかけてボールを蹴り、タッチラインを割らずにコントロールできた。インサイドでは、当たり前のように蹴ることができた。

 17歳だった財前が狙っていたのは、Jリーグではなく世界デビューだ。そこで高卒と同時にヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)と契約したまま、イタリア、セリエAのラツィオへ留学。ユース在籍だったが、アレッサンドロ・ネスタもいた環境で、ズデネク・ゼーマン監督からトップ練習参加も許されていた。

 そして1996年7月、スペイン1部のログロニェスに入団することになった。

「スペインのほうがボールを回すスタイルなので、自分に合っているんじゃないかって。イタリアに1年留学していたのもあって、ぶっ飛んだ自信はありましたね」

 拙著『アンチ・ドロップアウト』(集英社)の取材で、財前は当時の心境をそう振り返っている。

 しかしリーガは、プロ経験のない日本人が飛び込んで戦えるような甘い場所ではなかった。クラブはもともと「ミウラマネー(ジェノアにいた三浦知良の獲得)」を重視。財前はその前奏曲だったと言われ、その交渉がとん挫したことで立場を失った。

「現場はストライカーの獲得を要求したのに、連れてきたのは日本人MFだった」

 当時、ログロニェスを率いていたミゲル・アンヘル・ロティーナ監督(現セレッソ大阪監督)はこう洩らしていた。

「経営戦略の犠牲になった財前を、気の毒に思ってね。日本のテレビクルーが来た練習試合では、プレーさせていた。スモールスペースでのプレー技術は高い選手だったよ。相手ボックスの近く、密集地帯で見せるテクニックは信じられないレベルだった。

 ただ、試合で使えるだけの経験が不足していた。うまい選手はうんざりするほどいる。90分、1シーズンを戦い抜く体力、気力が求められる。何より、彼はひざの問題を抱えていたから......」

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