リーガ挑戦の日本人の前に立ちはだかった壁。当然のことができなかった
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リーガに挑んだ日本人(3)
2001年にエスパニョールに移籍、バルセロナ戦に出場した西澤明訓 欧州でまだジャパンマネーが猛威を振るっていた時代、リーガ・エスパニョーラ1部には、バジャドリードに在籍した城彰二に続いて、2人目の日本人FWがやって来た。
2000年12月、セレッソ大阪の西澤明訓が、エスパニョールへの移籍で合意したのだ。
西澤は2000年シーズン、Jリーグで15得点を記録して堂々のベストイレブンに選出されている。しかし名刺代わりになったのは、日本代表での活躍だろう。同年6月のハッサン国王杯フランス戦では、左サイドからのクロスを直接放り込むボレーシュートをお見舞い。12月のアジアカップでは、ウズベキスタン戦のハットトリックなど5得点で優勝に貢献したのだ。
「世界で通じるストライカー」
エスパニョールの強化は、かなりの自信をもって獲得にゴーサインを出した。
しかし、結果から言えば、西澤のスペイン移籍は残念な結果に終わっている。リーグ戦は6試合出場、スタメン出場はわずか2試合だった。スペイン国王杯準々決勝でバルセロナと戦い、残り10分程度で途中出場。ゴールが取り消され、幻になったシーンがハイライトと言えるだろうか。
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