歴代監督曰く、プジョルがいなければバルサの攻撃サッカーは成立しない (2ページ目)
そして、14歳で初めてスパイクを履いた。選手の頭数が足りず、試合ができないこともあるチームで奮闘し、小さな大会で優勝。その活躍により、地方選抜チームに選ばれた。当時は、バルサのスターだったブラジル代表FWロマーリオに憧れていたという。
しかし、選抜チームでは人数合わせで、ユニフォームをもらえなかった。ろくにボールも蹴らしてもらえない。自尊心を引き裂かれた。
ただ、少年はあきらめなかった。
17歳の時、つてを辿ってバルサのトライアルを受ける。当時はFW、右サイドハーフが主戦場だったが、明らかに一番下手だった。本人が「自分自身、下手過ぎて驚いた」と告白するほどに。
それでも、全力で食い下がり、誰よりも闘志を見せた。その姿が関係者の目に留まった。選手と対峙するたび、その短期間でもプレーを改善していた点が評価されたのだ。
2000-01シーズン、レアル・マドリードの選手としてカンプ・ノウに戻ってきたルイス・フィーゴを、右サイドバックとして完全に封殺。屈強な体と精神を買われて抜擢されたわけだが、その名を一気に高めた。英雄フィーゴを抑えることで、ディフェンダーとして覚醒したのだ。
2003-04シーズン、センターバックに固定されるようになると、存在感が増した。迫りくる敵を悉(ことごと)く撃滅。守りの番人としての頼もしさは際立った。
「プジョルがいなければ、バルサの攻撃的サッカーは成立しない」
ルイス・ファン・ハール、ラドミル・アンティッチ、フランク・ライカールトなど、歴代の監督たちがそう口をそろえた。
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