リバプール快勝に見る「無敵の強さ」の理由。南野拓実にも必ず出番はくる
リバプール=18対マンチェスター・ユナイテッド=7。
この数字は、1990年までのリバプールとマンチェスター・Uの国内リーグ優勝回数である。
1970~1980年代にリバプールは隆盛を極め、この間に11度のリーグタイトルを勝ち取った。まさに、リバプール全盛の時代だ。
試合前のアップでも笑顔を見せていた南野拓実 しかし、1985年に起きた「ヘイゼルの悲劇(※1)」で国際大会から7年の締め出しを受けると、追い打ちをかけるように1989年に「ヒルズボロの悲劇(※2)」を経験。彼らの勢いは衰退し、1989-1990シーズンを最後にリーグ優勝から遠ざかることになった。
(※1)ヘイゼルの悲劇=1985年5月29日、ベルギーのヘイゼル・スタジアムで行なわれたチャンピオンズカップ決勝「リバプールvsユベントス」戦において、試合前にサポーター同士が衝突して死者39名・負傷者400名以上を出した群衆事故。
(※2)ヒルズボロの悲劇=1989年4月15日、イングランドのヒルズボロ・スタジアムで行なわれたFAカップ準決勝「リバプールvsノッティンガム・フォレスト」戦において、ゴール裏の立見席に収容能力を大幅に超えるサポーターが押し寄せて死者96名を出した群衆事故。
代わって台頭したのが、アレックス・ファーガソン監督率いるマンチェスター・Uだ。
1992-1993シーズン、スコットランド人指揮官の下で初めて国内制覇の栄冠を掴み、破竹の勢いでトロフィーの数を増やしていった。香川真司も在籍した2012-2013シーズンに優勝すると、その年を最後にファーガソンが引退。在任26年で成し遂げた国内制覇の数は13回に及んだ。
結果、優勝回数は、リバプール=18対マンチェスター・U=20に逆転──。
マンチェスター・Uがリバプールの優勝回数を追い越し、イングランド1部リーグの最多優勝クラブとなった。国内リーグの優勝回数で争う両者の試合が、ライバル心むき出しの「伝統の一戦」と呼ばれる所以だ。
1月19日に行なわれた試合の前も、両陣営に大きな注目が集まった。
リバプールが2位のマンチェスター・シティに14ポイント差をつけて首位を独走し、「30年ぶりのリーグ優勝は固い」とされても、マンチェスター・Uを率いるオーレ・グンナー・スールシャール監督は「我々が30年もリーグ優勝から遠のくとは思えない」と牽制した。
1 / 3