日本人選手がプロを目指すクラブ、
ドイツ8部のバサラマインツとは? (5ページ目)
サガン鳥栖ユース出身の奥田裕也「あとになって、『高校やユースクラブとの関係があるから、必ず推薦入学の選手から使わないといけない』と聞いたんです。入部はできたけれどそういう煩(わずら)わしさがあって、大学を休学してドイツに来て、結局1年で退学しました」(奥田)
ドイツ6部リーグのビーブリッヒを皮切りに、5部リーグのフェアンバルト、モンテネグロ2部リーグのデチッチ、イェゼロ、オーストリア4部リーグのグラットコルン、ドイツ5部リーグのインターナショナル・ライプチヒ、ゴンセンハイムとチームを転々し、今季から奥田はあえて8部リーグにスッテプダウンしてバサラマインツに加入した。
奥田のステップアップを拒んだものはケガだった。オーストリア4部リーグのグラットコルンには「日本人助っ人」として加入し、住居・食事はクラブ持ち、出場給・勝利給も出て暮らしはよかった。ベテラン監督のロベルト・プフルークは試合前に、「お前がドリブルして、お前がパスして、お前がシュートしろ」とまで言って信頼してくれたという。
「監督のポゼッションサッカーの考えが僕のサッカー感とマッチした。そして、チームのレベルがいい意味で高くなく、僕が『チームの王様』になれたんです」(奥田)
プフルーク監督はかつてシュトゥルム・グラーツ(オーストラリア1部)の指揮も執ったこともある、72歳のベテラン指導者。知己も広く、奥田をオーストリア2部リーグのチームにつないでくれたが、合宿中にじん帯を痛めて話が流れてしまった。
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