リオ五輪を覆う暗い影。ドーピング問題が解決不可能なわけ (5ページ目)
1972年ミュンヘン、1976年モントリオール、1980年モスクワとトラブルが続いたオリンピックは、戦後最悪の低迷期を迎えていた。1984年大会に立候補した都市はロサンゼルスだけで、共産主義圏は1980年大会の報復としてボイコットした。
だが、僕たちは気づいていなかった。このときカリフォルニアの太陽の下で、新しいオリンピックの時代が幕を開けていた。なぜなら、世界が変わりつつあったからだ。テレビの普及とスポンサーの協賛金が増えたことで前より資金が入るようになり、ロサンゼルス大会は1932年以来初めて黒字のオリンピックになった。やがて冷戦が終結し、オリンピックのボイコット騒動にも終止符が打たれた。
いまオリンピックは、ロサンゼルス大会以降で最も大きな危機を迎えている。オリンピックをドーピングから救うには、時代を画すような変化が必要だ。だが、それがどんなものかは、まだわからない。
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