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リオ五輪を覆う暗い影。ドーピング問題が解決不可能なわけ (4ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 バッハが力のあるロシアを前にひるんだと批判する人もいる。ロンドン大会の円盤投げで金メダルを獲得したドイツ人のロバート・ハルティングは「私にしてみれば、彼も組織的なドーピングの片棒を担いでいる。トーマス・バッハを恥ずかしく思う」と語った。

 バッハがどんな手段で立ち向かおうと、おそらくドーピングは解決不能な問題だ。もしかすると、いずれアスリートは、ドーピングの重要性がなくなるほど強い遺伝子を持つかもしれない。倫理学者のシルビア・カンポレージが言うように、50年以内には「優れた『自然』な肉体を持ったアスリートが時代遅れに見えるようになる」可能性もある。

 オリンピックに関する僕の最初の記憶は、1980年モスクワ大会の記念グッズである赤と白の寝袋だ。子どもの頃、家族でキャンプに行くときには、いつも持って行った。西側諸国がソ連のアフガニスタン侵攻に抗議してモスクワ大会をボイコットしたあと、格安で売られていたのを、母がどこかで見つけたにちがいない。

 当時、バッハは大会ボイコットに反対する西ドイツ選手の先頭に立ったが、努力が実を結ぶことはなかった。バッハが出場したオリンピックは、1976年のモントリオール大会が最後になった。1980年のボイコットによる彼の心の傷は、リオデジャネイロ大会へのロシアの参加を許す決断につながっているだろう。

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