なんと4強のうち3カ国、アルゼンチン人監督がコパ・アメリカを席巻 (2ページ目)
この代表監督選考の過程で見逃せないのは、アルゼンチン人のエドガルド・バウサの名が二番手の候補として挙がったことだ。現在サンパウロFCを率いている彼は、2008年にはエクアドルのLDUキト、一昨年は母国サンロレンソの監督として、コパ・リベルタドーレスで優勝している。
現実的にはライバル国の人間をセレソンの監督に迎えることは、国民感情からしてほぼ不可能。そんな中、候補者になったというだけでも彼への評価の高さがうかがわれる。"最後の切り札"チチが失敗し、ロシアW杯の出場権が危うくなるようなことがあれば、いよいよ次はアルゼンチン人ブラジル代表監督が誕生するかもしれない。
コパに話を戻すと、準々決勝第1試合は、地元アメリカ対エクアドルだった。
アメリカのサッカーは、1994年に自国で開催されたW杯を機に大きく成長した。それまでのアメリカはCONCACAF(北中米カリブ連盟)の中でも低迷し、格上相手の試合では守備を固めての一発狙いのサッカーだった。しかし、W杯へ向けセルビア人のボラ・ミルティノビッチが監督に就任すると、プレースタイルが一新。強い相手にも積極的に仕掛けるようになった。
2 / 6