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イタリア人記者が語る「ザッケローニへの批判はフェアではない」 (2ページ目)

  • マッシモ・チェッキーニ●文 text by Massimo Cecchini
  • 栗原正夫●翻訳 translation by Kurihara Masao

 だが、イタリア戦が典型的だが、日本はいい試合をしながら、結果的につまらない躓(つまず)きで試合を落としてしまった。

 もちろん運がなかったということもある。イタリアの3点目となったバロテッリのPKは長谷部誠のハンドから得たものだったが、主審の判定はあまりにイタリアに有利だった。また3-3で迎えた終盤には、岡崎、香川が立て続けに放ったシュートがいずれもポストやバーに嫌われた。それが入っていれば結果は違っていたかもしれない。

 しかし、イタリアの2点目となった内田篤人のオウンゴールは、吉田麻也が危険なエリアでクリアを躊躇し、ジャッケリーニにボールをかっさらわれるという、このレベルでは許されないミスから生まれている。そもそも2点をリードしながら、まるで点差を考えていないようなサッカーを続けてしまい逆転を許した事実を考えれば、明らかに国際大会を戦ううえでの経験が不足していたと言える。まるで現実的に勝ち点を奪う方法をわかっていないようで、その戦いぶりはあまりにナイーブだった。

 日本の選手のクオリティの高さはイタリアの選手と比べても引けを取っていない。だが流れが悪くなったときに立て直しをすることができず、ズルズルと失点を重ねてしまうなど、メンタルの弱さと経験不足は否めない。

 また、日本の3試合を見て感じたのは、層の薄さである。特にW杯のような戦いを勝ち抜くためには、ケガや出場停止の選手が出たときも、それを補う選手がいなければならない。日本はこの点で、まだ世界に劣っているのではないか。国際大会では、ときにコンディションを見たうえでのターンオーバーも必要になる。そうした準備はレベルの高いリーグを持つブラジルやイタリアでも簡単なことではない。極東の日本にとってはさらに困難なはずだ。

 日本はコンフェデ杯でも、競った展開の中で効果的な選手交代ができず苦しんでいたように思う。それもレギュラーに代わる信頼できるサブメンバーがいなかったからではないだろうか。3試合で9失点とDFの脆(もろ)さが目立ったが、ひょっとすると代わりのDFを探すのも楽ではないのかもしれない。

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