木村和司の伝説のFKに「驚きはない」と川勝良一「そのぐらいの力はある。今のボールだったら、もっと決めてた」 (2ページ目)
達観したようにそう語る川勝は、自身の現役時代について、「(自分が日本代表に選ばれなくなって)多少悔しいのはあるけど、もともとあんまり欲がなかった」。
だからだろうか、木村が伝説のFKを決めたことで知られる1985年のワールドカップ最終予選、東京・国立競技場で行なわれた日韓戦にしても、「テレビでは見てたのかな......」と、曖昧な記憶を残す程度だ。
「オレは(代表に)一度入ったら、もう満足、みたいなところがあった。(同年代の)人より早くユース(年代別日本代表)に入ったら、早く代表(A代表)に入ったら、それでもう(目標に)到達した、みたいな。
だから、和司みたいにずっと(日本サッカーの)トップにいて、ずっと(日本代表の試合に)出て、ああいうことをやるのを見ても、当時はそこまでこう......、熱がなかった。もう(現役を)やめようかなって思ってたから」
ただ、その試合をリアルタイムで見ていたのか、のちにニュース映像などで見たのかはともかく、伝説のFKについては、「別にすごい驚きでもないしね。そのぐらいの力はあるよな、みたいな感じだった」と振り返る。
「練習でしょっちゅう見てたからね。ユースのときも、ああいうボールを蹴ってたし、(右サイドから)クロスを蹴るのと同じで、やっぱり右足で巻いて狙うときの軌道がもう安定してる。だから、あんまり大きく外れていくってことはなかった。
さすがに、あれ(日韓戦のFK)は距離が遠かったけど......、まあでも、知ってるヤツからしたら、驚きではなかったよ」
冷めた口調でそう語る川勝も、しかし今と昔では、求められる技術が大きく異なることを認識している。
川勝は、木村のFKについて「(ゴールの)バーのちょっと上から落ちるぐらいの高さで蹴れる。その回転とコントロールは抜けてる」と表現するが、それを30年以上前に実現していたところに、木村のすごさがあるというのだ。
「今のボールって軽いし、変化つけやすいでしょ。無回転とかもそうだし。だから、本当にラクだなと思います。オレが蹴っても曲がってくれたりするからね。
でも、昔のボールって重くて、点でとらえてもそんなにブレない。海外の選手みたいに、本当にパワーがないと、なかなか曲げて落とすとかってできなかったけども、和司はやっぱ蹴り込んでたんで、きれいにグーっと(曲げられた)。あれは相当技術がないと、難しいですよ」
川勝が興味深げに続ける。
「今のボールだったら、アイツ、もっと点取ってたんじゃないかな」
(文中敬称略/つづく)◆川勝良一が語る、木村和司の本質と指導者としての才覚>>
木村和司(きむら・かずし)
1958年7月19日生まれ。広島県出身。広島工業高→明治大を経て、1981年にJSL(日本サッカーリーグ)の日産自動車(横浜F・マリノスの前身)入り。チームの主軸として数々のタイトル獲得に貢献した。その間、日本代表でも「10番」を背負って活躍。1985年のメキシコW杯予選における韓国戦で決めたFKは今なお"伝説"として語り継がれている。横浜マリノスの一員としてJリーグでもプレー。1994年シーズンをもって現役を引退した。引退後は解説者、指導者として奔走。日本フットサル代表(2001年)、横浜F・マリノス(2010年~2011年)の指揮官も務めた。国際Aマッチ出場54試合26得点。
川勝良一(かわかつ・りょういち)
1958年4月5日生まれ。京都府出身。京都商業高(現京都先端科学大附高)を経て、法政大に入学。卓越したテクニックを誇り、大学在学時に日本代表に選出された。大学卒業後、1981年にJSLの東芝(北海道コンサドーレ札幌の前身)入り。1983年に読売クラブに移籍。その後、京都紫光クラブ(京都サンガF.C.の前身)、東京ガス(FC東京の前身)でプレーし、1991年シーズンに現役を引退した。引退後は指導者として活躍。ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)、ヴィッセル神戸、アビスパ福岡、京都などで手腕を発揮した。国際Aマッチ出場13試合。
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