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「やっぱりサッカーは、うまいヤツが一番」 わがまま放題の木村和司が、それでも仲間から一目置かれていたわけ (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・構成 text by Masaki Asada

 やっぱりサッカーは、うまいヤツが一番――。

 それを木村がピッチ上で証明したのが、1977年に旧ユーゴスラビアのリエカ(現クロアチア)で開かれた国際ユーストーナメントでのことである。

「対戦相手はみんな、体がデカいプロ予備軍でしたけど、和司はそれをもうチンチンに抜いて、きれいにクロスを上げてた。だから、とりあえず和司にボールを渡しとけば、必ずゴール前にボールが入ってくる、みたいな感じでした」

 当時の日本サッカーは、まだまだ発展途上。川勝の表現を借りれば、「できたり、できなかったりというヤツのほうが多かった時代」である。ウイングの選手にしても、「足が速いだけのヤツはいっぱいいた」。

 だが、「和司はそうではなかったよね」。川勝が続ける。

「昔、ユーゴスラビアにドラガン・ジャイッチっていうスーパースターがいて、その選手が左ウイングだったんで、現地ではウインガーがすごく人気があったんですよ。当時の和司は右ウイングで、アイツがボールを持つと小さいのがちょこちょこ抜いていくので、スタジアムもかなり盛り上がりました」

 そのときの木村の背番号は16番。小さなドリブラーがボールを持つたび、スタンドは沸き上がり、あちらこちらから「シックスティーン!」の声がかかったという。

「和司は、日本の選手のなかでもちっちゃかったけど、あの遠征では一番評価が高かったと思うんで。そのプレーは、当時からものすごく新鮮だったし、ちょっと他とは違いがありました」

 同じチームで中盤を務めていた川勝にしてみれば、体の大きな強敵を相手にしたとき、「パスを出しても、(ボールを)取られそうな人にはあんまり出したくないっていう発想はありました」。実際、「パスを出しても『誰かサポートに来てほしい』みたいな雰囲気を出す人が、ユース代表でもいましたからね」。

 川勝が、「でも」とつないで続ける。

「和司はまったく逆で、『(パスを自分に)出せ、出せ』って。それでボールを渡すと、独特の間合いで抜いていくし、クロスやシュートまで当然持っていく。あんまりサポートを必要としないウインガーで、ひとりで勝負できましたね。そういう完全な形を持っていて、それはヨーロッパでも通用していました」

(文中敬称略/つづく)

木村和司(きむら・かずし)
1958年7月19日生まれ。広島県出身。広島工業高→明治大を経て、1981年にJSL(日本サッカーリーグ)の日産自動車(横浜F・マリノスの前身)入り。チームの主軸として数々のタイトル獲得に貢献した。その間、日本代表でも「10番」を背負って活躍。1985年のメキシコW杯予選における韓国戦で決めたFKは今なお"伝説"として語り継がれている。横浜マリノスの一員としてJリーグでもプレー。1994年シーズンをもって現役を引退した。引退後は解説者、指導者として奔走。日本フットサル代表(2001年)、横浜F・マリノス(2010年~2011年)の指揮官も務めた。国際Aマッチ出場54試合26得点。

川勝良一(かわかつ・りょういち)
1958年4月5日生まれ。京都府出身。京都商業高(現京都先端科学大附高)を経て、法政大に入学。卓越したテクニックを誇り、大学在学時に日本代表に選出された。大学卒業後、1981年にJSLの東芝(北海道コンサドーレ札幌の前身)入り。1983年に読売クラブに移籍。その後、京都紫光クラブ(京都サンガF.C.の前身)、東京ガス(FC東京の前身)でプレーし、1991年シーズンに現役を引退した。引退後は指導者として活躍。ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)、ヴィッセル神戸、アビスパ福岡、京都などで手腕を発揮した。国際Aマッチ出場13試合。

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