Jリーグ連覇、海外移籍、日本代表...一般企業に就職した髙萩洋次郎が現役時代を振り返る (4ページ目)
「代表は難しいなって、最初に呼ばれた時から思っていました。自分のよさは、あくまで周りの選手とのコンビネーションや関係性があって生きるもの。何か突出した武器があったわけでもないですし、代表のように短期間での活動のなかでは自分を表現するのも簡単ではなかったというか......。
それに、僕は人見知りですからね。10代の頃から知っている選手もいましたが、やっぱり長く会っていないと関係もリセットされるじゃないですか(笑)。圭佑や佑都、岡ちゃんらと一緒にサッカーしてみても、ふだんからヨーロッパの第一線で活躍している彼らは、対人の強さなどにしてもレベルが一段階違うように感じていました」
ヴァイッド・ハリルホジッチ監督が指揮を執っていたロシアワールドカップ出場を決めたオーストラリア戦では、ベンチからは外れたものの、招集メンバーには入っていた。もう少しでワールドカップ出場に手が届く位置にはいたように思うが......。
「いや、その逆ですね。オーストラリア戦はスタンドから見ていましたが、目の前で見てしまった分、肌感覚として余計に難しいと感じていました。チームメート、監督との信頼関係、長くやっていたメンバーも多かったですし、そこに割って入るのは厳しいと......。選手としては、そこで勘違いしてでも気持ちを上げていくほうが絶対にうまくいくとは思います。でも、自分はどこかで客観視してしまっていたんです」
ピッチの上でも、ピッチを離れてからも、一歩引いた冷静な視点を持っている。それが髙萩らしさなのかもしれない。
髙萩洋次郎
1986年、福島県生まれ。2002年、サンフレッチェ広島ユース入団。2003年、トップチームに登録され、湘南ベルマーレ戦でデビューしJリーグ最年少記録を更新。2012年の初優勝などに貢献した。2015年、ウェスタン・シドニー・ワンダラーズに移籍。その後、FCソウル、FC東京、栃木SC、アルビレックス新潟シンガポールでプレーし、2024年、現役を引退。日本代表初選出は2013年。2025年、VOLZ入社。
著者プロフィール
栗原正夫 (くりはら・まさお)
1974年6月11日生まれ、埼玉県出身。大学卒業後、放送、ITメディアでスポーツにかかわり、2006年からフリーランスに。サッカーを中心に国内外のスポーツを取材し、週刊誌やスポーツ誌に寄稿。ワールドカップは1998年、夏季五輪は2004年からすべて現地観戦、取材。メジャーよりマイノリティ、メインストリームよりアンダーグラウンド、表より裏が好み。サッカー・ユーロ、ラグビーワールドカップ、テニス4大大会、NBAファイナル、世界陸上などの取材も多数。
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