名ドリブラー・水沼貴史が高校1年生のときに対戦した驚愕の選手「今まで出会ったことのない人だった」
木村和司伝説~プロ第1号の本性
連載◆第11回:水沼貴史評(1)
JSL(日本サッカーリーグ)の日産自動車、Jリーグ発足後の横浜マリノス(現横浜F・マリノス)で活躍し、日本代表の攻撃の柱としても輝かしい実績を残してきた木村和司氏。ここでは、そんな稀代のプレーヤーにスポットを当て、その秀逸さ、知られざる素顔に迫っていく――。
木村和司氏を初めて見たときのことについて語る水沼貴史氏 photo by Miki Sanoこの記事に関連する写真を見る 水沼貴史が木村和司に初めて出会ったのは、1976年の夏。新潟県新潟市で開かれた全国高校総体でのことだった。
「県工は強いぞ。すごい選手がいるから、おまえたちでは絶対に勝てない」
当時、浦和南高校の1年生だった水沼は、準々決勝で県工、すなわち県立広島工業高校との対戦が決まると、監督の松本暁司からやけに危機感をあおるようなことばかり言われたのを記憶している。
「県工と当たるときに、松本監督からそんなことをずっと言われていたので、僕らも当然、試合するのを楽しみにしていました」
終わってみれば、警戒を強めた浦和南が4-0で県工に快勝した。水沼自身も1年生ながら、ハットトリックを達成している。
確かにチームは勝った。だが、松本がその能力を高く評価していた「すごい選手」のインパクトは、想像以上に鮮烈なものだった。
その選手こそ、県工3年の木村和司である。
水沼が述懐する。
「和司さんを最初に見たとき、ちょっとなんか......、今まで出会ったことのない人だったので......。『こういう人が日本にいるんだ!』ぐらいな衝撃を受けたのは覚えています」
すでに木村はユース代表(年代別日本代表)にも招集されており、松本が警戒するのは当然のことだったが、「ただ、僕はまだそこまで和司さんのことを知らなかった」と水沼。むしろ、何の先入観も持たなかったからこそ、受けた衝撃は絶大だったのかもしれない。
「クロスがもうヤバかった。和司さんはウイングだったんですけど、ありえない方向にドリブルしていって......」
通常、ウイングがサイドをドリブルで突破してクロスを上げる場合、多少なりともゴール方向へ向かっていき、クロスを上げる。
ところが、「和司さんは、クロスを上げる方向とは逆方向へ行って上げる。要は、(自分をマークする)相手から離れるほうにボールを持っていって上げるんですよ」。
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