【Jリーグ】オシムの無茶ぶり「焼きそばの麺と具を分けて出してくれ」 佐藤勇人が知ったその意図とは... (5ページ目)
【次の世代に伝えていく必要がある】
── 受け入れることができなかったと。
「そうですね。ただ、次の日にJリーグの解説があって、実況の方にその話題を振られたんですね。その時にパッと出たのが、『それでも人生は続く』っていう言葉だったんです。
これはある試合で負けて落ち込んでいる時、オシムさんに言われた言葉で、ロッカーに入ってきたオシムさんはサッカーの内容には一切触れず、『お前ら、それでも人生は続くぞ』って、そのひと言だけを言って帰っていったんです。それがすごく頭のなかに残っていたので、その言葉を言いました」
── 前を向いて進んでいくしかない、ということですね。
「はい。なので、僕はすぐに行動に移しました。オシムさんの追悼試合をやらないといけないと思い、クラブに話をして追悼試合を企画して開催しましたし、『JAPANIZE FOOTBALL』というプロジェクトを立ち上げて、オシムさんから学んだことを伝えていく取り組みもしています。
今の子どもたちは、イビチャ・オシムを知らない。でも、僕らがオシムさんに教わったことは、絶対に次の世代に伝えていく必要があると思っています」
── あらためて勇人さんにとって、オシムさんとはどういう存在でしたか。
「自分の人生のなかでは数年間しか関係性がなかったひとりの方ですけど、間違いなく僕が死ぬまで、オシムさんという人は心のなかで生き続けると思います。だから、いろんなところでオシムさんから学んだことを伝えていきたい。なぜなら、オシムさんが日本に伝えてくれたものは、本当にかけがえのないものですから」
<了>
【profile】
佐藤勇人(さとう・ゆうと)
1982年3月12日生まれ、埼玉県春日部市出身。ジェフユナイテッド市原(現・千葉)のジュニアユース、ユースを経て2000年にトップチーム昇格。イビチャ・オシム監督のもとでチームの黄金期を支え、2005年と2006年のナビスコカップ連覇に貢献。2006年に日本代表デビューを果たす。2008年に京都サンガF.C.へ移籍するも、2010年に「愛するクラブをJ1へ戻す」決意で千葉へ復帰。2019年に現役引退。現在はジェフユナイテッド千葉のクラブユナイテッドオフィサーを務める。国際Aマッチ1試合0得点。ポジション=MF。身長170cm。
著者プロフィール
原山裕平 (はらやま・ゆうへい)
スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。
【写真】あの人は今〜1994年Jリーグ得点王「オッツェ」今昔フォトギャラリー
5 / 5
























