【Jリーグ連載】ヴェルディのアカデミーで育った選手が指導者としての道を歩み始めた経緯「今思うと、いいように使われていた」 (2ページ目)
荷物運びもそうだし、(練習の)人数が足りなければそこに入るし、(全体練習開始の)1時間前からGKが練習するってなると、(GKコーチだった)藤川(孝幸)さんに言われて、本並(健治)さんや(菊池)新吉さんを相手に(シュートやクロスを)蹴るんですけど、「タイミングが違うんだよ!」とかって注意されながらも、キックはうまくなる、みたいな(苦笑)。ずっとそういう感じでした。
――まさに、手伝い、ですね。
冨樫 トップは川勝(良一)さん、サテライトは森(栄次)さんが監督だったんですけど、そこで重宝されたら、ユースの監督の田口(貴寛)さんからも、「ユースも手伝ってくれ」と言われてやるようになって。そのうち、ユースの(練習時間の)前にサッカースクールがあったので、そこも手伝うようになりました。
ということで、(練習時間順に)毎日トップ、サテ、スクール、ユースと練習を手伝って、土日は川崎の巡回コーチ。今思うと、いいように使われていました(笑)。
――その時は、指導者になるんだという意識でやっていたのでしょうか。
冨樫 夕方のユースの練習を手伝っていた時、当時の高校3年生に飯尾和也がいて、一個下に飯尾一慶、平本一樹、相馬崇人、もう一個下に富澤清太郎とかがいて、すごいレベルだったんですよね。「こういう子たちがトップに上がるんだな」って思った時に、「これに携わるのは大変なことだな」って感じたのが、一番大きかったですね。
「(指導者は)責任のあることをやっているんだ」っていう感覚になって、そこで指導者になりたいなっていうか、コーチになりたいなと思いました。ところが、なぜか次の年からは(トップチームの)マネジャーをやることになるんですけど(苦笑)。
――今度はマネジャー、ですか。
冨樫 夕方までマネジャーの仕事をしたら、アカデミーのコーチの手伝いをさせてもらったり、ベレーザのコーチをさせてもらったりして、それが終わったら、夜8時半ぐらいにまたマネジャーの仕事をしてから帰っていましたね。
でもその時は、李国秀さんが(トップチームの)総監督だったんですけど、すごくかわいがってもらって、いろんなことをまかせてもらい、一番近くでマネジメントも見せてもらったおかげで、トップの監督についてすごく学ぶことができました。
――そこから、いよいよ本格的に指導者への道を歩み始めた。
冨樫 その間に指導者ライセンスをコツコツと取っていって、2002年に柱谷(哲二)さんがコンサドーレ札幌の監督になる時、一緒に(コーチとして)連れていってもらったのが、スタートです。
ヴェルディでは、いろんなことに携わらせてもらいましたが、ただ指導者としては、2002年にコンサドーレに行かせてもらったのが、大きな一歩だったなと思います。
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