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【Jリーグ】ジョルジーニョは立ち止まらない人だった 受け継がれる「アントラーズの遺伝子」 (3ページ目)

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Kei Totsuka

【指導者になるつもりはなかった】

 在籍3年目の1997年は、リーグカップと天皇杯をクラブにもたらした。1998年はリーグ戦の出場試合数こそ減ったものの、ジュビロとのチャンピオンシップではホーム、アウェーともにフル出場する。こうした大一番に、ジョルジーニョは強い。だからこそ、どのクラブでもタイトルを手繰り寄せたのだろう。このチャンピオンシップでも、年間王者をつかむことに貢献した。

 1998年限りでアントラーズを離れた。引退後はいったん代理人業へ進むものの、指導者の道を歩んでいく。2012年にはアントラーズへ帰還する。監督に指名された。

 アントラーズとの契約を終えた当時、「いつかまた監督として戻ってきたい」と話していた。約束を果たしたわけだが、ジョルジーニョは「実はね」と笑顔で明かした。

「現役を引退した直後は、家族とゆっくり過ごしたいと思っていた。指導者になるつもりはなかったんだけど、2年ぐらいそんな生活を送っていたら、『やっぱり週末はサッカーだよなあ』と思うようになってね。プレッシャーのかかる戦いに自分を置きたい、そのスイッチがほしくなったんだ」

 影響を受けた監督を聞くと、名将の名前がズラリと並んだ。

「いろいろな監督のいろいろなエッセンスが自分のなかにある。カルロス・アルベルト・パレイラ、ザガロ、テレ・サンターナ、ベッケンバウアー、トラパットーニ......ほかにも有名ではないけれど、モチベーションを高めるのがうまい監督、戦術眼に優れた監督、前半と後半でしっかり指示を出せる監督、ピッチの横にいながら全体を見られる監督がいました。そういう要素が、僕のなかにはあると思う」

 目指すサッカーを聞くと、現役当時と同じ言葉が聞かれた。

「サッカーはボールを持っていろいろなプレーができるので、ボールを持つことに臆病にならず、積極的に保持することを考えたい。あとは、勝たなければいけない。勝つチームを目指すよ」

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