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【Jリーグ連載】読売クラブに憧れた"サッカー小僧"の回顧 アポなしでクラブ事務所を訪ねてチーム入りを直談判した (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Masaki Asada

 いきなり"アポなし"で東京都稲城市のよみうりランド内にあったクラブ事務所を訪ねると、「小学生のチームに入れてほしい!」と直談判。すでに年が明け、小学6年生も残り数カ月とあって、ジュニアチーム入りはかなわなかったが、12歳の熱意は伝わった。

「事務所の受付にいた大御所みたいな方に、『だったら、スクールに入りな』と言ってもらいました」

 読売が運営しているとはいえ、小学生を対象としたサッカースクールは「僕の力でも全員抜いて点を取れるくらい」のレベル。「こんなものか」。それが正直な感想だった。

 しかし、冨樫が"真の読売クラブ"を知るのは、それから先。正式に中学生のチーム、すなわちジュニアユース(当時の名称はユースB)に入れてもらうためには、セレクションに合格しなければならなかったからだ。

 サッカースクールで気をよくしていた冨樫が、ジュニアユースのセレクション会場に足を運んでみると、狭き門に詰めかけていたのは、およそ150人ものサッカー少年たち。「最初の50m走で、合格ラインが7秒5。僕は8秒5でした(苦笑)」。

 これは無理だと半ばあきらめていたが、ゲーム形式のテストになり、思わぬチャンスが巡ってきた。

 冨樫は当時、FWの選手だったが、セレクション参加者のほとんどがFW志望。どの少年団でも、うまい子はたいていFWなのだから当然のことではある。冨樫が「FWは倍率が高そうだから、MFで手を挙げようか」と思案していると、サッカースクールで顔を合わせていたコーチの竹本一彦に声をかけられた。

「おまえ、スクールの子だよな。じゃあ、一番後ろをやってくれ」

 12歳にして、初めて経験するセンターバック。「守備なんかしたことがないので、とにかくボールを取ったら、そのまま持ち上がり、全員抜いて点を取っていました。そこから僕のディフェンスの人生が始まったんです」。

 冨樫の記憶によれば、最終的な合格者は12、13人。本人いわく、「そこに何とか引っかかった」まではよかったが、実際にジュニアユースでの活動が始まってみると、「毎日練習に行くのが怖かったです」。

 読売クラブという特殊な環境が、そこにはあった。

(文中敬称略/つづく)

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