「自分の仕事に責任を持ち、全身全霊を尽くす」セレソンのアシスタントコーチも務めたジョルジーニョの職業倫理 (2ページ目)
【カリスマのドゥンガ、頭脳のジョルジーニョ】
――プレッシャーも大きかったと思います。
「僕らは監督という肩書きで仕事をした経験が少なかったから、信頼を得るために必要なのは、勝利だった。だから結束し、自由と創造性を持ち、経験豊富なスタッフから学びながら、それを実現していった。
ただ、僕らは自分たちの仕事に自信を持っていた。ドゥンガは12年以上、僕も8年にわたってブラジル代表でプレーしていたから、ブラジル代表という独特なチームにおける経験やノウハウを持っていた。
そして2007年のコパアメリカや、2009年のコンフェデレーションズカップで優勝し、W杯南米予選を1位で突破した。もちろん、一番重要なのはW杯優勝だったが、それは叶わなかった」
――当時はメディアから「カリスマのドゥンガ、頭脳のジョルジーニョ」という言葉も聞きました。
「ドゥンガには、カリスマ以外のものもあった。現役時代から、いつでもピッチ上の監督のように、チームをオーガナイズしていた。ジュビロ磐田の試合で、仲間を怒鳴り散らしていた彼を覚えているよね(笑)。
ブラジル代表でもそうだ。例えば、1994年W杯のアメリカ戦。左SBのレオナルドが前半の終盤に退場になり、僕らはピンチに陥った。そこでドゥンガは『オープンに攻めるな。ここぞという時を待ち、カウンターアタックを仕掛けよう』と、試合の間中、指示を出していたんだ。彼には当時から試合を読む力があった」
――2010年のW杯の後、報道によると、外国の代表やヨーロッパのクラブなど、いろいろな打診やオファーが来たそうですね。でもあなたは、再びブラジルのクラブで指揮を執ることを決めました。その理由は?
「実際は、W杯優勝を逃したことによって、色々な可能性が減ったところもあった。アフリカの代表チームからのオファーもあったけど、信頼できる組織やプランがないと感じたから辞退した。
だったら、ブラジルで経験を積もうと思ったんだ。ブラジル全国選手権は、多くのチームが優勝を争う厳しいリーグだ。あの頃から国の経済力が上がり、ロナウジーニョをはじめ、まだヨーロッパのトップレベルでプレーできる選手を呼び戻せるようになって、全体のレベルも上がりつつあった。
もちろん、仕事の環境には注意を払っていたよ。卵がなければオムレツは作れないから、クラブの財力に限界はあると思ったけれど、ポテンシャルを感じさせる選手たちがいることを確認して引き受けた。どこへ行っても困難はある。でも可能性があるならば、僕は挑戦したい」
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