「F・マリノスでプレーできることを感謝している」ジャン・クルード、最近のお気に入りは「あさり塩ラーメン」 (3ページ目)
【「自分を信じて、自分を奮い立たせなければ」】
ジャンと家族は日本での生活にもすっかり馴染んだ。アフリカ料理を食べられるレストランを見つけつつ、日本食にも積極的にトライしている。最近は、あさり塩ラーメンがお気に入りだという。
エコノミークラスを何度も乗り継ぎ、片道24時間以上かかる移動を強いられたとしても、トーゴ代表とF・マリノスでの活躍を両立できる自信もある。ウクライナ時代は代表活動のたびに、隣国ポーランドまで陸路で移動してから空路でアフリカに戻らねばならず、過酷な移動も慣れっこだ。
すべてはF・マリノスのために。「僕の人生においてサッカーは特別なもの」と語るジャンは、信念と感謝とともに走り続ける。
「時には誰かに背中を押してもらうのを待つこともあるけれど、本来それは間違いなんだと思う。まずは自分を信じて、自分で自分を奮い立たせなければいけない。そうでなければ、物事はうまくいかない。僕は一生懸命に努力してきた。自分に向かって『ジャン、君ならできる。プロサッカー選手になれる』と言い聞かせてきた。
僕には家族がいるけれど、練習が終わっても食べ物を買うお金がなく、ただ家に帰るしかなかった時もあった。水がなくてシャワーしかないこともあった。アフリカではそんな厳しい環境が珍しいものではない。そうした環境は、強くなるために自分を信じて努力することの大切さを僕に教えてくれた。
そして、僕には(ジャンが10歳の頃に他界した)お父さんがついている。僕の右足にも左足にもお父さんの魂が宿っていて、いつもボールを蹴る時に彼が助けてくれるし、いつもどこかから見てくれていると感じるんだ。僕を導いてくれた神様に、今、F・マリノスでプレーできていることに心から感謝して、これからもがんばっていくよ」
(了)
第1回 >>> Jリーグ史上初のトーゴ人選手、ジャン・クルードのタフな少年時代「サッカーで生きていく未来なんて...」
Jean Claude ジャン・クルード
2003年12月14日生まれ、トーゴ・ロメ出身。14歳で出場したU-17アフリカ・ネーションズカップで注目され、UAEのアル・ナスルのユースに引き抜かれ、そこでプロに。帰化を断ったことでファーストチームに居場所を失い、2023年9月からウクライナのゾリャ・ルハンシクへ期限付き移籍。翌2024年7月に横浜F・マリノスに完全移籍で加入し、驚異的なスピードや鋭い寄せで中盤を引き締めている。
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