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戦火のウクライナでプレーしたジャン・クルード「人生でもっともクレイジーな経験だった」 (2ページ目)

  • 舩木渉●取材・文 text by Funaki Wataru

【「ヨーロッパでプレーする夢を大事に」】

 アル・ナスルでは絶対的な主力ではなかったが、2シーズンにわたってUAE1部リーグを戦ったことで、2023年6月にトーゴ代表から初めて声がかかった。ここでまたしてもジャンは、国籍の問題に直面する。

 16歳からUAEに住んでいたため、まもなく同国のパスポートを取得できる条件の「5年在住歴」をクリアできる。新たな国籍を手に入れれば、パリ五輪出場を目指すU-23 UAE代表に入って2024年の前半に開催されるアジアU-23選手権に出場する道も開かれていた。

 だが、ジャンはUAE国籍の取得を見送った。それはいったい、なぜだったのだろうか。

「UAEのパスポートを手にするチャンスがあることはわかっていたし、『それを持ってヨーロッパに行ける』とも考えていた。ヨーロッパへ行き、より高いレベルのリーグで自分の名前を売ることが、僕の目標のひとつでもあったからね。

 僕が初めてトーゴ代表から招集された時、UAE側はU-23代表入りを打診してくれて、一時期はトーゴを選ぶかUAEを選ぶか五分五分だった。ただ、UAEのパスポートを持っていてもヨーロッパに行ける保証はないし、むしろ自分の未来を制限してしまう可能性があるのではないかとも感じた。

 難しい決断だったけれど、僕はやっぱりヨーロッパでプレーするという夢を大事にしたかった。それを実現するにあたって、制約が生まれるならUAE国籍は取得しないことにした」

 ジャンは2023年6月14日に行われたレソト代表との国際親善試合で、トーゴ代表デビューを飾った。その4日後にはアフリカ・ネーションズカップ予選のエスワティニ代表戦にも途中出場。もしレソトとの親善試合のみの出場であれば将来的なUAE代表への鞍替えも可能だったが、FIFAの定めたルールにより、原則としてA代表で公式戦に出場した選手は他国の代表に切り替えることはできないため、エスワティニ戦への出場をもってジャンのUAE代表入りへの道は断たれた。

 すると今度はアル・ナスルでの将来に暗雲が立ち込めた。同じように帰化とUAE代表入りを前提に10代でリクルートされてきた有望株が列をなしてチャンスをうかがっている状況で、トーゴ代表を選択した者に居場所はなくなったのだ。

 構想外となったジャンが継続的な出場機会を得るには新天地を求めるほかなく、夏の移籍市場の閉幕が迫っていた2023年9月1日にウクライナ1部のゾリャ・ルハンシクへ期限付き移籍することとなった。

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