【Jリーグ連載】東京ヴェルディユースのプレミアリーグ復帰に、中野雅臣は「めっちゃホッとしました」
東京ヴェルディ・アカデミーの実態
~プロで戦える選手が育つわけ(連載◆第20回)
Jリーグ発足以前から、プロで活躍する選手たちを次々に輩出してきた東京ヴェルディの育成組織。この連載では、その育成の秘密に迫っていく――。
東京ヴェルディユースのプレミアリーグ復帰には「ホッとした」という中野雅臣 photo by Sano Mikiこの記事に関連する写真を見る
第19回◆中野雅臣が東京ヴェルディユース入りを決めたわけ>>
高校3年時に東京ヴェルディユースのキャプテンを務めた中野雅臣。彼が小学校卒業を前に、その後の進路にヴェルディのアカデミーを選ぶのにはまったく迷いがなかった。
ただただサッカーが楽しい――。それだけで十分だった。
とはいえ、現実的に考えて、物理的な距離の問題は決して小さくなかった。
東京都稲城市にあるよみうりランドまでは、埼玉県さいたま市の自宅から電車で片道およそ2時間。「結果的に大変......だったのは母で、それまでは家の近くのクラブでやっていたので、ずっと『大丈夫か』って一番心配していました」。
実際、小学生時代に所属したクラブチーム、ネオスFCからは他にふたりの同級生がJクラブのアカデミーに進んだが、その進路は地元の浦和レッズと大宮アルディージャだったのだから、いかに中野の選択が変わっていたかがわかる。
中野は中学校の授業が終わると、母親と最寄り駅で待ち合わせをして、学校用のバッグとサッカー用のバッグを交換。「駅のトイレで着替えて、そのまま電車に乗って」よみうりランドに通う生活が始まった。
結局、サッカーのために往復4時間を要する生活は、アカデミーに所属した中学、高校時代はもちろん、プロになってからも続いたが、「自分的には大変だっていう気持ちはなかった」。中野は「今はできないなって思いますけど」と苦笑するが、当時は「全然苦にならなかったです」と振り返る。
「(授業が終わると)早くサッカーに行くぞ、練習に行くぞ、っていう感じでしたね。(練習後は)2個上の前田直輝選手(現サンフレッチェ広島)とか、1個上の安西幸輝選手(現鹿島アントラーズ)、澤井直人選手(現Criacao Shinjuku)が同じ埼玉だったので、途中まで一緒に帰っていました」
中野が小学6年生だった当時、すでにヴェルディのトップチームに黄金時代の面影はなく、J2に降格していたが、そのことも「全然気にならなかった」という。
「どのカテゴリーだとかは関係なくて、自分が楽しいと思える場所が一番でした」
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