【高校サッカー】全国トップクラスの実力を誇った東京朝鮮高の歴史 サッカースタイルのルーツは本国そして旧ユーゴから (2ページ目)
【28年前。全国優勝の帝京と争う】
今から28年前。
1997年に東京朝鮮高は中田浩二(元鹿島アントラーズほか)率いる帝京高と選手権出場を懸けて都大会決勝を戦った。のちに東福岡高と国立競技場での伝説的な雪の決勝戦を戦うチームだ。
延長戦でゴールを許し、0-1の敗戦を喫した。当時FWとして試合に出場した現東京朝鮮高サッカー部OB会の丁明秀(チョン・ミョンス)会長はこう語る。
「(延長戦までもつれましたが)実際は圧倒的に押された展開でした。ボールポゼッションは相手が90%くらいの感じで、シュート数は8対32でした。とにかく耐えて、耐える試合で。中田浩二はすごかったんでしょうけど、実は彼ひとりには"あまり苦労しなかった"んです。なにせ相手の攻撃陣にずっと攻められてて、ボランチの彼は後方でたまにサラッとボールをさばくくらいでしたから」
そうではあっても、その前年から選手権への参加資格を再び得たチームは、すぐさま都大会決勝に勝ち残る力を持っていた。
丁明秀自身は卒業後、アルビレックス新潟の入団テストを受けたが、合格には至らなかった。現在はOB会長を務めつつ、息子に夢を託す。次男の昌平(チャンピョン)は、現在同校サッカー部に在籍。今回の選手権予選ではレフティーの攻撃的MF、10番を背負う2年生エースの役割を担った。東京都国体選抜にも選ばれている。
OB会長として、最近のチームに思うことがある。「昔がどうだったと言って、僕らの時代と比べすぎるのもよくないんですが」と断ったうえでこう続ける。
「自チーム内でも、相手に対しても、厳しさがなくなっていると思います。僕らの世代は『日本人に勝ちたい』と思って戦っていました。その考え方は悪いことだけじゃないと思うんです。日本のチームのほうが技術が高いことが多い。そんななかで僕らが戦えた理由って、気合、根性、走る、ということでしたから。相手にも厳しくぶつかって、自分たちの規律も厳しくしていました。だからこそ、(強豪高校が)朝鮮高と練習試合を組む意味もあったとも思うんです」
今年のチームは、選手権予選(2次予選)初戦の2回戦で都立東大和高のペースに合わせ、蹴り合いをやってしまった。辛くも後半終了間際にセットプレーから決勝ゴールを決めて勝ち上がると、3回戦では大森学園高を相手に、CKが直接決まるゴールで辛勝。準々決勝では前述のとおり逆転負け。一方、東京都のリーグ戦では、終盤に帝京高Cに敗れたこともあり、東京都2部昇格を逃してしまった。
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