【Jリーグ】鹿島アントラーズでは史上初の3冠にも貢献 ビスマルクのパスに多くの日本代表が育てられた
Jリーグ懐かしの助っ人外国人選手たち
【第19回】ビスマルク
(ヴェルディ川崎、鹿島アントラーズ、ヴィッセル神戸)
Jリーグ30数年の歩みは、「助っ人外国人」の歴史でもある。ある者はプロフェッショナリズムの伝道者として、ある者はタイトル獲得のキーマンとして、またある者は観衆を魅了するアーティストとして、Jリーグの競技力向上とサッカー文化の浸透に寄与した。Jリーグの歴史に刻印された外国人選手を、1993年の開幕当時から取材を続けている戸塚啓氏が紹介する。
第19回はビスマルクを取り上げる。ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)と鹿島アントラーズをリーグ王者へ導いたこのブラジル人MFは、サッカー王国の選手たちが遺伝子に組み込む創造性や意外性ではなく、基本技術の正確さで観衆をうならせた。
※ ※ ※ ※ ※
ビスマルク/1969年9月17日生まれ、ブラジル・リオデジャネイロ州出身 photo by Getty Imagesこの記事に関連する写真を見る 日本のサッカーファンに初めてその姿を認識させたのは、1991年のキリンカップサッカーだっただろう。
日本代表とタイ代表、それにトッテナム・ホットスパー(イングランド)とヴァスコ・ダ・ガマ(ブラジル)が、総当たりのリーグ戦で順位を争った。ビスマルクは1990年のイタリアワールドカップメンバーとして、GKアカッシオやFWベベットとともにチームの看板選手だった。
1991年のキリンカップは日本代表が3連勝を飾り、初優勝を飾ったことで知られる。トッテナムのガリー・リネカーの来日も話題となり(彼自身は活躍できなかったが)、ヴァスコ・ダ・ガマにはスポットライトが当たることはなかったものの、ビスマルクは3試合に出場して3ゴールを挙げている。「さすがはセレソン」との印象を与えた。
当時20歳である。ヨーロッパのクラブへ移籍するのは時間の問題だろう、と思われた。
ところが、1993年の夏に日本へやってくるのだ。
のちに彼が話したところによると、「ヨーロッパへ行くことも、ブラジル国内での移籍の可能性もあったけれど、どちらもうまくまとまらなかった」という。「それで、知り合いのブラジル人スタッフがいるヴェルディ川崎からの誘いを受けることにした」とのことだった。
著者プロフィール
戸塚 啓 (とつか・けい)
スポーツライター。 1968年生まれ、神奈川県出身。法政大学法学部卒。サッカー専
門誌記者を経てフリーに。サッカーワールドカップは1998年より 7大会連続取材。サッカーJ2大宮アルディージャオフィシャルライター、ラグビーリーグ ワン東芝ブレイブルーパス東京契約ライター。近著に『JFAの挑戦-コロナと戦う日本 サッカー』(小学館)
























