検索

【Jリーグ】58歳で逝去したFWエドゥーとの思い出 エスパルス在籍1年、もっと日本で見たかった (2ページ目)

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei

【ドゥンガやロマーリオも招集】

 フェリポンの好意とコーディネーター兼通訳さんの腕力で、僕とカメラマンは普通なら入れないクラブの内部にも足を踏み入れることができた。パルメイラスで働いて何十年というスタッフや、長く施設内の植物の手入れをしている職人たちと、コーヒーを飲みながら雑談をしたりした。そこでまた、「エドゥー・マンガを知っているか?」と聞かれた。

「あの選手を知っているか?」と聞かれるのは、海外取材の「あるある」のひとつだ。地元のスター選手がプレーした国の人間に出会えば、それが母国からはるか遠くなら、思わず聞きたくなるのだろう。インターネットとスマートフォンですぐに何でも検索できるようになるまでは、そんなやり取りを世界のあちらこちらでかわしたものだった。

 ただ、同じ選手について何度も聞かれるのは、それほど多くない。エドゥーはパルメイラスで188試合に出場して、43ゴールをあげている。資料によってゴール数に微妙な誤差はあるものの、在籍5シーズンの成績としてはなかなかものと言っていい。ブラジルで有名なサッカー専門誌『プラカール』の表紙になったのも、それぐらい期待を集めていたのだろう。

 1987年から1989年にかけては、ブラジル代表に選出されている。1987年のコパ・アメリカでメンバー入りしているのだが、その顔ぶれがすさまじい。

 前年のメキシコワールドカップに出場したGKカルロスと右SBジョジマール、CBジュリオ・セザール、優れたゲームメーカーのバウドとシーラス、ウインガーのミューレルとストライカーのカレッカらが名を連ねる。

 1990年のイタリアワールドカップで主力となるCBのリカルド・ローシャとリカルド・ゴメス、それにジョルジーニョやドゥンガの名前もある。1994年のアメリカで世界チャンピオンに輝くライーやロマーリオも召集されている。

 それらセレソンの歴史に残る名手たちに混ざって、エドゥーはメンバー入りしている。それだけでも、彼のポテンシャルが読み取れるというものだ。

 ちなみに、このチームで背番号10を背負ったのは、エドゥー・マランゴンだった。1993年と1994年にフリューゲルスの司令塔を担ったレフティで、彼と区別するためにエドゥーはエドゥー・サントスと呼ばれていた。

2 / 4

キーワード

このページのトップに戻る