【Jリーグ】佐藤寿人が見た「ルーキー監督」森保一 降格候補の広島をJ1優勝へ導いた手腕 (4ページ目)
【個人的にも期待されていなかった】
開幕前日には、印象的な出来事がありました。森保さんが涙を流しながら、メンバーを発表したんです。
「キャンプからよくやってくれた。俺は全員をベンチに入れたいけど......」って。悔しそうに語るその姿を見た時に、やるしかないな、と心から思いました。
いい準備をしてホームで迎えた開幕戦は、忘れることができないですね。対戦相手は浦和でした。
浦和はこの年からミシャが監督に就任して、元チームメイトのマキ(槙野智章)と(柏木)陽介もいました。因縁めいた相手でしたが、熱いメッセージを掲げてくれた多くのサポーターの前で、後半立ち上がりに決めた僕のゴールを守り抜き、1-0で勝つことができました。
キャンプである程度自信をつかんでいましたが、実際にシーズンが始まってみないとわからない部分もありました。内容的によかったわけではないですけど、すごく気持ちが入っていましたし、何より大事な開幕戦で結果を手にできたことで、いい空気が生まれたと思います。
続く清水戦で、すぐに鼻をへし折られてしまう(1-2で敗戦)んですけど、次の鹿島に勝ったことも大きかったですね。そこでうまくいかなくなってもおかしくなかったですけど、何とか持ちこたえて、そこから3連勝できました。
もっとも、いいスタートは切れましたが、その頃は優勝できるなんて少しも思ってもいませんでした。なにせ、開幕前の下馬評は低かったですからね。
サッカー専門誌の順位予想でも降格候補でしたし、担当記者でさえフタ桁順位を予想していたくらいで(笑)。でも、無理もないですよね。実績のない新人監督がチームを率いていましたし、前の年のトップスコアラーだったチュンソン(李忠成)が海外(サウサンプトン)に移籍して、攻撃を牽引していたムジリ(→FCゼスタポニ)もいなくなったわけで、ポジティブな要素は少なかったですから。
個人的にも、あまり期待されていなかったと思います。30歳になって、キャリアの下り坂に差しかかった時期でしたし、前の年も11得点に終わっていたので、そろそろ点が取れなくなるという見方をされていたと思います。経営的な問題があったとはいえ、減俸されたことも、そういう評価だったということでしょう。
(つづく)
◆佐藤寿人・中編>>「ストライカーの原点」を見つめ直すことができた森保監督の言葉
【profile】
佐藤寿人(さとう・ひさと)
1982年3月12日生まれ、埼玉県春日部市出身。兄・勇人とそろってジェフユナイテッド市原(現・千葉)ジュニアユースに入団し、ユースを経て2000年にトップ昇格。その後、セレッソ大阪→ベガルタ仙台でプレーし、2005年から12年間サンフレッチェ広島に在籍。2012年にはJリーグMVPに輝く。2017年に名古屋グランパス、2019年に古巣のジェフ千葉に移籍し、2020年に現役を引退。Jリーグ通算220得点は歴代1位。日本代表・通算31試合4得点。ポジション=FW。身長170cm、体重71kg。
著者プロフィール
原山裕平 (はらやま・ゆうへい)
スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。
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